ラベル フィクション の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル フィクション の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012年10月9日火曜日

「ビッグチッパー完結編」~10月8日(月)12点


「すみません。もう今日は(タクシーは)いいです。来 週からも、もう要りません」

それだけ言って、電話は切られた。

そして、イチローの声を聞いたのも、そ れが最後だった。

なにか、やばいことをさせられている

とは思っていてものの、

なにもわからないままに、関係が途切れてしまうと落ち着かないものである。

先日受け取った3千万円が入ったボストンバッグは、自宅の押し入れに手付かずのまま眠っていた。

そして、また数ヶ月が過ぎた。

そろそろ金の使い道を考えていた頃だった

タクシーに乗っていたら、

マイホームなんて夢だと思っていたけど、

この金(3千万)があれば…

なんて、思いかけていた。

その日、夜の駅で並んでいると無線で呼ばれた。

「205号指名です。H駅に回送してください。お名前、ヒロタさま。女性です」

指名…ヒロタ?女性?

聞き覚えのない名前だが、

なぜ自分を指名するのだろう。

少し不安な気持ちを抱えて、

H駅に向かうと、

待っていたのは若い女性だった

春先でまだ夜は肌寒かったが、些か露出の多い黒いブラウスを着て、

ミニスカートで長い足をあらわにしていた。

化粧も濃く、こんな田舎の駅には似つかわしくない…

ビックリするような美人だが、

しかし、近寄りがたいというか、娼婦のような出で立ちだった。

「お待たせしました…ヒロタさまですね」

ドアを開けると、女性は迷いなく乗り込んできて言った。

「はい、こんばんは。ヤマシロさん、あなたの家まで行ってくれる?」

タバコのにおいがした。

わたしは暫し状況が理解できなかった。

「わたしの…家ですか?」

「そう、あなたの家」

「わたしの家に行って、どうするんですか?」

「どうするって?・・・変なこと考えてるでしょ?」

「いえ…あの、そういうお客さんてはじめてなもので…」

女性は運転席に身を乗り出してきた。

露出した肌が、わたしの肩に押しつけられた。

「『そういう客』って失礼ね。でも別にしても構わないよ」

「…」

「金がどこにあるか教えてくれたらね」

「…金?」

女性はさらに身体を近づけてきた。

「あなたが何をしたか・・・あなたが空港から運んだ荷物はかなりやばいもの、ばれたら大変なことになるよ」

「な、なんのことだ?」

「知らないとは言わせないわ。こっちは証拠も全て揃えられるようになってる。しかも、あなたは主犯」

「主犯!?」

「そう、全てあなたが計画して、『こと』を行ったようになってるわ」

「そんな・・・」

「とにかく金を返しなさいよ。そうすれば、全てはなかったことに出来る」

額から濃厚な汗が流れてきた。

わたしは自分の家の前に車をつけた。

女を待たせると、

部屋の押入れから、3千万円の入ったボストンバッグを、震える手で引きずり出した

車で待っていた女にボストンバッグを渡すと、

すぐに中身を確認していた。

「やっぱり、あなた真面目よね。多分1銭も使ってないでしょ。フフフ・・・だからあなたを選んだんだけどね。ここまで予定通りことが運ぶと怖いわね」

「俺を・・・選んだ?」

「そう、最初から全部計画されてたことなのよ。あなたは『選ばれた』の」

なんとも言えない感情が込み上げてきた。

「それならイチローは・・・?」

「あれも、わたしが雇った男よ。今はどこにいるかも知らないわ。駅まで戻ってくれる?」

「それならグランダーソンは?」と聞こうとしたが、これ以上寒い空気には耐えられそうもないと思って堪えた。

ルームミラーで改めて女の顔を見ると、

どこかで見たことがある

「もしかして、あのとき・・・」

「そう、おばちゃんと一緒に乗ったでしょ。このバッグを見つけてあげた」

「・・・そんな」

まさか、あのときに乗った、あどけない、かわいい娘が主犯だったとは・・・

駅まで戻ると、

メーター料金は2,510円だった。

「どうもありがとう。何も残らないんじゃかわいそうだから」

女はバッグの中から、1万円札を一枚出して置くと。

完璧な仕事を終えて、颯爽と降りていった。

開いたドアから、桜の花びらが舞い込んできた。



10月8日(月) 日照8.6 雨0 気温23.3-9.2
営収 12,650(6,900) 8(4)回 10.25(5.50)時間
MAX 2,790-1,910


祭日(体育の日)の駅番で、

悪いとは思っていたが、

結果は期待を裏切らなかった。

しかし今日は昼過ぎに、子どものサッカーの試合を観戦して、

息子の公式戦初ゴールを見て、

途中で抜けて、

14時からの乗務

夕方には娘のチームの優勝の報告を受けて、

まあ正直売上なんて、どうでもいいくらいに嬉しかった。



2012年10月7日日曜日

「ビッグチッパー④~運び屋」~10月6日(土)10点


「来てくれるのかな?来週の火曜日にお 願いしたいんだが」

「わかった・・・いや、わかりました」

約束は火曜日の朝10時に、

行灯を外して一般車用のロータリーで待つ。

空港にはタクシー乗り場があって、

多いときは100台超の車が並んでいる。

指名乗車は問題ないものの、

なるべく並んでいるタクシーに気づかれないように、

一般車に紛れて、ひっそりと待っていた。

そして10時ぴったりに男は来た。

「やぁ、その節はどうも」

「こちらこそ…どうも」

「まあとにかく出してくれるかな。ちょっと急ぐんだ」

そう言いながらも男は急いでいるようには見えず、

明らかに周囲の目を気にしていた。

「何とお呼びしたらいいですかね?」

わたしは指示通り車を走らせ、空港を出た。

「呼び名か…欧米じゃあるまいし。まあイチローとでも呼んでくれ」

それなら「わたしはジーターと呼んでください」という、いつもの軽口が出かけたが、何とか抑えた。

「ヤマシロです。よろしくお願いします」

こちらは本名を車に掲げているわけだし、今さら自己紹介するまでもないのだが、とりあえず言っておいた。

そして、その後は会話が途切れた。

これらから訊きたいことはいくらでもあったが、

何かを話してくれそうな隙は全くなかった

そういう空気は運転手にしか分からない感覚である。

車内の録音レコーダーの存在も警戒しているのだろう。

「その先に見えるコンビニの駐車場に入れてくれるかな」

「わかりました」

メーター料金は1,160円

男…いやイチローは約束通り1万円札を置いて、なに食わぬ顔をして降りていった。

なんとなくやばそうな空気を感じて、すぐに車を出そうとしたのだが、

後部座席に忘れられているカバンに気がついた

イチローを見ると、タクシーを降りて、コンビニの中に入っていった。

誰かと話をしている。

そしてそのイチローと会話をしていた若い、一見学生にも 見えるやせた男が、同じような年代の女を連れて、

コンビニを出て、こちらに向かってきた。

そして無邪気な笑顔を見せて、

「(乗っても)いいですか?」

と問いかけてきた。

カバンの忘れものがあることを伝えようとすると、

それを遮るように、サッと紙切れを渡してきた。

(カバンのことについては口にしないでください。イチローの知り合いです)

すると、少し威圧するような目をこちらに向けて、乗車してきた。

連れの女も続いた。

「近くなんですけどすみません。K町までお願いします」

「…わかりました」

ワンメーターの距離である。

わたしは言われるままに黙って車を走らせた。

「あっ、そこのレオパレスの前で停めてください。おつりいいですから」

千円札を置くと、イチローの忘れもののバッグはそのまま置いて降りていった。

「ねぇ、今日なに食べよっか?…」

先に降りた女の声が聞こえた。

そして、その開いているドアから、

いつの間にか、頭の禿げかかった中年が乗車してきた。

「D駅行って」

もう大体分かった。

俺は運び屋をやらされている

イチローが、シンガポールから仕入れてきた…何らかの「もの」を、足がつかないように動かしているのだ。

麻薬なのかもしれないし、拳銃なのかもしれないし、

もっとやばいものなのかもしれない。


とにかく客が降りる度にそこから乗車があり、

通常のタクシー営業なら理想的なのだが、この人為的に作られた状況はあまり歓迎出来なかった。

そんなことを何度か繰り返して、

結局病院の前から乗った老夫婦がイチローのカバンを持って降りていった

そしてそれから、毎週火曜日に空港に行って、同じようなことを何度か続けた。

そのたびに乗車する面々は変わっていった。

一体どれだけの人間が関わっているんだ…

そして2ヶ月ほど経ち、

空港で待っていると、電話が鳴った。

やはり非通知設定だったが、

間違いなくイチローの声だった。

「すみません。もう今日はいいです。来週からも、もう要りません」

それだけ言って、電話は切られた。

そして、イチローの声を聞いたのも、それが最後だった。




10月6日(土) 日照0.9 雨0(少々) 気温22.6-13.4
営収 10,060(600) 8(1)回 10.25(5.00)時間
MAX 600-1,670


午前中は子どものサッカー練習を見学して、

息子の動きの良さに満足して、

その後、子どもを県立公園の学習センターへ連れて行って・・・

14時からの乗務

しかし・・・

記憶に残るほどの最悪の乗務やった

もうコメントなし

来週は良くなりますように。

2012年10月6日土曜日

「ビッグチッパー③」~10月3日(水)17点 5日(金)30点 


「ただ、もう一つちょっとしたお願いがある」

「お願い?」

「いや、そんなに構えないでくれよ。お願いと言っても他でもない、タクシーの仕事だよ。わたしは仕事で毎週シンガポールへ行っているんだが、帰りに空港に迎えに来てほしい。それだけの話だ」

「空港・・・からどこまで?」

「大した距離じゃないんだ。10分20分のところだが、メーターがいくらでも1万円は払うよ」

「10分で1万円・・・」

もうそれだけで「やばい仕事だ」と言っているようなものである。

ここまで来たら、金を返すか、とことんまでこの男の言うなりになるかどちらかの選択である。

深夜にタクシーに乗っていれば、

「やばそうな客」というのは、いくらでもいる

ちゃんと金を払ってくれるんやろか

車内でおかしなことしないやろか

切れるんちゃうか・・・

そんなとき、乗車拒否でなくても、駅で後に並んでいる車に代わってもらうことはそれほど難しくない。

大抵は遠方の客だから喜んで行く車はいくらでもいる。

要するに、そういう場合に、

「とりあえず行く運転手」と、「とにかく行かない運転手」に分かれるわけである

わたしは「行く運転手」であった

「来てくれるのかな?来週の火曜日にお願いしたいんだが」

「わかった・・・いや、わかりました」





10月3日(水) 日照8.4 雨0 気温25.5-14.4
営収 17,770(10,360) 14(8)回 10.00(5.25)時間
MAX 2,230-1,750


いや、ひどかった、この日は。

特に夜がさっぱりやったな

しかし休憩中に鍵をなくして、どうしようかと思ったが。

家の前の側溝に落ちてたのを発見!

よかったー(何してんの?)

10月5日(金) 日照9.7 雨0 気温24.0-11.7
営収 30,710(11,150) 15(5)回 11.50(5.75)時間
MAX 3,670-8,070


今日も苦しかったー

やっぱり夜があかんわ

10月に入って、良くなるかなーと思いつつも。

今週はさっぱりやな

嵐の前の静けさか

それとも

静けさの前の静けさか・・・

2012年10月2日火曜日

気まぐれ小説「ビッグチッパー」~10月1日(月)33点



タクシーに乗って、

信じられないくらい多額のチップを置いていく客を

ビッグチッパーと呼ぶ

あれは忘れもしない、

秋も深まりかけた夜のことだった。

40代くらいの、

高そうなスーツを着た、

エリート風のサラリーマンが乗車して、

「朝晩は冷えますねぇ・・・」

なんていう、この時期お決まりの、他愛もない会話をしていた。

男性はわたしとそれほど年齢は違わないだろうに、

終始落ち着いていて、

その落ち着きぶりは腹立たしいほどだった。

駅でその男性を降ろし、

夜の忙しい時間帯だったので、

ほどなく次の客が乗車した

親子らしき女性2名

運転席の後ろ側に座った、娘らしき髪の長い女性が、

「運転手さん、ここにバッグが・・・忘れ物ですか?」

「えっ!バッグ?あっ、本当だ。どうもすみません」

見ると黒い小さめのボストンバッグだった。

 運転席の後下に置かれてはなかなか気付かない。

 さっきのサラリーマンだろうか。

落ち着いて見えたけど、忘れ物していったとは・・・人は見かけによらないものだ。

「(バッグの忘れ物を)教えていただいてありがとうございます」

よく見ると結構かわいい女性にお礼を言って、住宅街で親子を降ろすと、

近くの公園の外灯の下へ行って、

ボストンバッグの中身を確認した

札束が入っていた

それも数え切れないほどの・・・

そして一枚の紙切れが入っていた。

「3千万あります。これは乗車させていただいたお礼のチップです。どうぞご自由に使ってください」


10月1日(月) 日照0 雨0 気温21.4-14.8
営収  33,580(18,410) 18(11)回 11.50(6.00)時間
MAX 3,510-4,550


前半戦も、後半戦も

面白いくらいに流れが良くて

月曜日に、遠方なしでこの数字ってすごい

うまくいくときはうまくいくもんや。

しかし最後にたぬきと衝突してしまい

やや後味悪かった・・・

2012年5月19日土曜日

謎解きはタクシーの中で〜「給料日まで待てなかったということか・・・」

「ふざけるのはやめろ、真犯人は誰なんだ?」

エリート警部の夏祭の苛立ちは頂点に達していた。

自分のような優秀な公務員が、彼の中で社会の底辺のヘドロのような存在であるタクシー運転手に遊ばれている。とても耐えられない状況であり、正直もう事件のことなどどうでもよくなりかけていた。

しかし気になるのである。

事件うんぬんでなく、どうもこの男の話は気になる。

「気になりますか?」

「ふん、どうせ松田が見つからなければこの事件は迷宮入りする。事件の発覚が遅れたのは、あのタクシー会社の管理体制の問題であって我々警察の責任ではない。要するにお前の推理などどうでもいいのだ」

「松田は見つかりますよ。お客さまのような優秀な警官たちがしっかり捜査されたらの話ですが。しかし彼は犯人ではない。見つかればそのことがはっきりするだけです」

「犯人でなければ、犯人に仕立てたらいい。そういう状況にあるのだから簡単なことだ。タクシー運転手が殺人を犯したとなれば新聞の見出し的にも目立っていいだろう・・・」

ドン!

ハンドルを叩く音がした。

運転席を見ると、影村がハンドルに突っ伏すように震えている。

「あ・・・悪かった。言い過ぎた。あの・・・顔を上げてくれ・・・または車を停めてから下を向いてくれ」

「阪神が負けました。新井は四番の器ではありません。チャンスで打てませんから」

謎の運転手は顔を上げると、目に涙を浮かべていた。彼の話は一貫していないことに関して一貫している。

「・・・設定は2月じゃなかったのか(プロ野球などやっているのか)?」

「お客さま、さすがでございます。良いところに気づかれました」

持ち上げてくれるのはいいが、話的に何か言い訳なり説明なりしてほしいと思いながら、これ以上この男と事件以外の話を続けたら(精神的に)危険だと思い夏祭は話を戻した。

「ところで、お前は犯人が誰だと思っているんだ?さっきの話だと車の様子を見に行った・・・なんと言ったかな」

「小池ですか?」

「そう、運転手の小池が怪しいということか」

「小池は犯人ではありません。もっとも小池は犯人を知っているかも・・・おそらく知っているでしょうが」

「犯人を知っている?なぜ隠す?犯人は一体誰なんだ」

影村は大きく、わざとらしくため息をついた。

「まだわからないんですか?」

「いいから話せ」

もう読者は事件の内容そのものを覚えていないぞ、と思いながら夏祭は高圧的に促した。

「えぇ、まずわたしが松田・・・事件車両を運転していたはずの運転手が犯人ではないと考えた理由は三つあります。一つ目は・・・」

①運転手が山中のルートを選択したこと

「あの山中のルート選択は確かに不自然だ。我々捜査陣の間でも問題になっている」

「もちろんでございます。これを問題にしなければ警察の存在価値などありません」

夏祭も影村の毒舌にやっと慣れてきたのか、この程度の発言には大して反応しなくなった。

「・・・まあいい。具体的にはどういうことなんだ?」

「運転手によってルート選択は違います。とりわけ新人の運転手とあっては最適のルートを選ぶことが出来ないことが多いのも事実です」

「それならどんなルートを通っても不自然ではないというロジックになるんではないか?」

「いえ、いくらチケットとは言え場合によって高速道路を避けて山道を通ることはあってもおかしくありません。決定的な問題はあの東谷の山越えルートは高速道路を通るよりも遠回りになるということです」

「なんだと!山道を通っているのだからてっきり近道だと思い込んでいたが・・・どういうことなんだ?」

夏祭は運転席に乗り出してきた。

「普通に考えて3ヶ月の新人運転手がわざわざ遠回りの下道を通ることは考えられません。しかも松田は大阪出身、伊丹に自宅があります。この上(北側)の道に詳しいとは思えません」

「だからそれはどういうことなんだ?」

「犯人はその方面の道にかなり詳しく、そして何らかの理由で意図的に高速を避けたと思われます」

「高速を避けた?」

「そうです。高速の入口には防犯カメラがありますから運転手の写真が撮られることがあります。『ベテランの運転手なら』そのことを知っているはずです」

そして影村は次の理由に話を移した

②松田がナイトシフトで乗務していたこと

「それがなぜ松田リジェクトする(犯人から外す)理由になるんだ?」

「ナイトシフトというのは要するに夜に仕事を始めて次の日の朝まで乗るスタイルで、タクシーの乗務としては夜と朝の、いわゆる『いいとこ取り』で一般的に最も稼げるシフトです」

「だから何なんだ?」

「松田は入社3ヶ月と言われましたね。そのような新人乗務員が、その美味しいナイトシフトの仕事をさせてもらえるはずがないということです」

夏祭は軽く目を閉じた。

「うーん・・・普通の仕事なら夜中に働くなんてのはいやがって当たり前やからな。新人だからこそ(夜に働かされた)と思っていたが」

「さらに言いますと、被害者が乗車した川北のバーは我々も知っている高級バーです。そういったところは遠方の仕事が多いでしょうから、新人乗務員が配車されて行くのは不自然ですね。もっともこれは決定的な証拠にはなりえませんが」

「証拠?一体なんの証拠だ」

「運転手が松田ではなかった、という証拠です」

そして3つ目

③(松田の自宅の)郵便受けに残された新聞

「松田が事件の数日前から自宅に帰っていなかったことが、なぜ松田が犯人でないという理由になるんだ?」

「タクシーの仕事をしている人間が自宅に帰らないなんてことはあり得ませんよ」

「なぜだ?」

「家でビールを飲みたいからです」

「理由になってない」

「とにかく松田は既に運転手をやめていたということです」

「辞めていた?どういうことだ・・・なぜ家に帰らないんだ?」

影村は少し間をおいた後、トーンを下げて言った。

「残念ながら、この世界にはよくあることです。入社して間もないドライバーが売上金を持って消える。当然自宅に帰ることは出来ませんし、他の多くのドライバーもすぐにそのことを知ることはありません」

「な、な、なんだって。タクシーごときのわずかな売上金を持って人生を棒に振るのか?」

「・・・人生を棒に振るほどのことではありませんよ。それ以前にその運転手が数日でも働いていたら、逃げられても会社はその分の給料を払う必要がありません。会社はほとんど損をしませんから問題にすることもないわけです」

夏祭は信じられないという表情で首を左右に振った。

「給料日まで待てなかったということか・・・タクシーごときのわずかな給料を」

「ま、まあそういうことになりますね。とにかくこの事件は消えてしまったその運転手を影武者に利用した殺人事件ということです」

「影武者?」

「そうです。今まで話したことの全てをコントロール出来る人間が一人だけいるのです」

2012年5月13日日曜日

謎解きはタクシーの中で〜「それが今回の事件と何か関係あるのか?」

「まず今回のタクシー車内における事件には、いくつかの謎がございます」

影村が挙げたのが、

①山中の現場から運転手はどこに、どのように消えたのか?

この謎の運転手は、タクシードライバーにならなければ、プロゴルファーか私立探偵になりたかったらしい。

「ハハハ!何を言い出すかと思えば。そんなことは警察も既に完璧な聞き込み捜査を行っている。地域のタクシー会社にも、松田の知り合いにも一通りあたっている。事件の後に松田を迎えに行ったと思われる証言も怪しげな行動もない。松田は歩いて逃げた。そのために時間を稼いだんだ」

「歩いて逃げたと言われるんですか?2月の半ばにあの山中がどれだけ冷え込むかご存知ですか?死にますよ」

「じゃあどこかで死んでるんだろう」

「・・・犯人はおそらくタクシーを使って逃げたのでしょう」

「なんだと!タクシー会社には全てあたったと言っただろう」

影村は両手を広げ、「参ったな」という仕草をしながら首を左右に振った。

「現場の運転手に聞き込みをしましたか?」

宝塚署のエリート警部の夏祭は一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐに言葉を返した。

「そんな必要はないだろう。会社の日報を見たら運転手がその日どこに行ったのかくらいわかる」

「わたしがタコメーター、いわゆる運行記録計について伺ったのはそこでございます。タクシーにおける記録計はこの地域では義務化されていません。記録計がなければある程度日報の行く先を変える・・・ごまかすことは可能でございます」

そして影村は次の謎に話を進めた。

②最初に事件車両を見に行った運転手、小池の不可解な行動

「小池の行動のどこがおかしいと言うんだ?」

夏祭にとってこれは意外な視点だったようだ。

「まず第一発見者の一般の方が事件車両に手を出せなかったのは理解できます。事件がいつ起こったのか知らないわけですし、一応タクシーですから車内で人が寝ていると思ったかもしれません」

「寝ている・・・か」

「しかし通報を受けて現場に向かった小池運転手は、事件車両が未明から行方不明になっていたのを知っています。そして車内に利用者が残されている、これは大変です。もし本当に鍵がかかっていたとしたら」

「『もし本当に』?」

夏祭は影村の言葉を繰り返した。

「そうです。もし車に鍵がかかっていたらガラスを割ってでも中にいる利用者を救助することを考えるはずです」

「まあ小池も所詮タクシー運転手だ。そこまでの常識も正義感もなかったんだろう。それに車内の女性は既に死んでいた」

そのとき影村は・・・またもハンドルから両手を離し、左手の人差し指を立てた。

「そこです。なぜ小池は車内の絞殺死体を車外から見て、『死体らしき』と判断したんでしょう?」

「・・・どうでもいいが、運転するときはどちらかの手でハンドルを握ってくれないか?」

運転手はゆっくりと左手をハンドルにそえた。

「小池はその車両を見に行く前から死体がそこにあると知っていた、そう思われませんか?」

「知っていた??どういうことだ?」

「ちなみにわたしは自転車通勤していますが、自転車に鍵をかけたことはほとんどありません。しかし今日久々に鍵をかけました。なぜだと思いますか?」

「・・・なぜだ?」

「先日自転車がパンクしまして、修理に5千円もかかりました。ボロ自転車で、盗まれてもそれほど困らないと思っていましたが、パンク修理したばかりで盗まれてしまってはさすがに悔しいですから」

「それが今回の事件と何か関係あるのか?」

「全く関係ございません」

「・・・」

そしてもう一つの大きな謎

③タクシーはなぜあのような山道を通ったのか?

「高速を使わずにあの東谷の山道を通ったと聞いて、わたしは犯人が運転手の松田でないことを確信しました。そして真犯人が誰であるかが分かりました」

「どういうことだ?真犯人は誰なんだ?」

「その前にわたしは若い頃に何度かニューオーリンズへ行ったことがございます。ディキシーランドジャズが大好きでして・・・」


「それが今回の事件と何か関係あるのか?」

「全く関係ございません。さっきラジオで流れていまして、そのことを思い出しました」

2012年5月9日水曜日

謎解きはタクシーの中で〜権利と義務

「もしかしたらお客さまはアホでございますか?」

「な、な、なにぃ!!」

「犯人はその車両の運転手、松田ではございません」

謎の運転手影村はハンドルを握り、少しも表情を変えることなく言い放ったが、プライドの高いエリート刑事の夏祭にとってはその前の発言の方が衝撃的であった。

「お、お、お前タクシードライバーの分際でこのわたしを『アホ』だとぅ!不愉快や、降りる、こんなタクシー降りてやる!!」

「大変申し訳ありません、お客さま。降りられるのは残念でございますが、こうしてお客さまと出会えて本当にしあわせでした」

影村はこの期に及んでわけのわからない丁寧言葉を並べて場違いな微笑みを浮かべた。

「停めろ、すぐに車を停めろ」

「ありがとうございます、料金は1,500円になります」

「お前あれだけの大口を叩いておいて料金を請求する気か?」

「わたしは失礼なことを申し上げたのかもしれません。しかしそれは道路運送法、またはその下の運輸規則などにも恐らく触れていない問題でございます。そしてわたしが料金を請求するのはそのずっと上にある民法上の権利でございます」

「何かが間違っているような気がするが・・・もうどうでもいい。時間がもったいない。ほら」

夏祭はスーツの内ポケットからわざとらしくヴィトンの財布を出すと、そこから千円札を二枚、運転席につきだした。

「どうもありがとうございます」

影村はうやうやしくその千円札を受けとると、制服の内ポケットに入れて、後部座席のドアを開けた。

夏祭は降りない。

「ちょっと待たんかい、なにか忘れてないか?」

「なにか?・・・握手ですか?」

「なんでお前と握手せなならんのだ!釣りや!つり銭!」

「あぁ・・・つり銭を取られるんですか」

影村はいかにも意外そうに後部座席の夏祭を一瞥した。

「な、なんだ、その目は」

「確かにお客さまにはつり銭を取る権利がございます・・・500円ですが。そしてわたしにはつり銭を渡す義務がございます・・・500円ですが」

「500円500円うるさいな」

「そのとおり、500円あればコンビニで立派な弁当が買える時代です」

「時代とかそういう問題ではないだろう」

夏祭はなんとかペースに流されないように、見えない縄を必死に握っていた。

「権利というものは行使しなければ、相手側に義務は生じません。どうでしょうお客さま、この500円でわたしの推理を聞いてみる気はございませんか?」

難しい言葉を並べているが、影村のやっているのは冷静に詐欺か押し売り行為である。

「ま、まあいいだろう・・・聞いてやろう」

しかしなぜか夏祭は根負けした。

山の中でタクシーをもう一度呼ぶ手間を冷静に考えてしまったのか、または作者の長過ぎる前置きにうんざりしたのかもしれない。

影村もまた誰も待っていないのにここまで引っ張った作者に不満を抱きながら静かに車を走らせた。




4月30日(月) くもり
日照0 雨0 東南東8.3 高22.1 低15.2
営収 23,430(13,500-9,930)
12(6-6)回
11.25(6.75-5.50)時間
MAX 7,830

苦しんだ連休中(と連休明け)の日報をアップしておこう。

今年は日の並びも良く、

28日の土曜日からの連休入り、

この日は連休前半(28~30)の最終日

A駅番で久々に寺参りがあたったが、

予想通り伸びなかった・・・

5月6日(日) 晴一時雨
日照4.2 雨1.0 西南西5.7 高21.3 低9.6
営収 22,460(11,090-11,370)
10(4-6)回
10.25(4.75-5.50)時間
MAX 7,830

この日はほんまの連休最終日

またA駅番で、昼間はまたお寺があたったが、

夕方はソフトボールの練習で3.5時間ほど抜けて、

夜はめちゃめちゃ車が少なかったものの、

やはり伸びず・・・

5月7日(月) 晴
日照5.4 雨0 西南西6.3 高23.2 低8.6
営収 19,210(9,740-9,470)
15(9-6)回
11.50(6.50-5.00)時間
MAX 2,630

連休明けのこの日の朝は、

春の健康診断

思いがけずバリウム初体験で

さわやかに出庫・・・

連休明けは悪い

こんなことは何年か乗ってれば誰でも知っている当たり前の法則で、

結論から言って、この日は出勤するべきではなかった。

今年は年明けからの平均が3万を大きく超える快進撃が続いていたが、

この3乗務の平均が21,700円

正直痛いなぁ・・・

2012年5月2日水曜日

謎解きはタクシーの中で~「犯人はその運転手ではございません」

「タクシー運転手が利用者の女を殺した。それが今回の事件だ」

自称宝塚署のエリート警部、夏祭の口から出た言葉は運転手である影村にとって悔しくも衝撃的なものだった。

「どういうことでございましょう?詳しくお話いただけませんか」

「うむ…本来なら外部のものに話せるものではないが、ことがことやからお前も何か知っているかもしれん。話してやろう」

夏祭はあくまでも高飛車だったが、このときばかりはいくらかプロの刑事らしい態度も示した。

事件が起こったのはこの日の未明と推測されるが、発覚したのは夕方になってからだった。

たまたま付近を通りかかった一般車両が道路脇に止まっているタクシーを不審に思い、会社に連絡を入れたことから会社が無線で指示を出して、ある車両(タクシー)に様子を見に行かせた。

ほどなくその運転手から会社に電話が入って、車内に女性の死体らしきものが乗っているとの連絡を受けた。

「それを受けて警察に連絡があったのが今日の18時過ぎだ。全くタクシー会社の危機管理というのは一体どうなってるんだ?」

被害女性は沢渡秀美42才独身、宝塚の大手企業HSコーポの事務職員であり、小柄だが大人びたルックスで社内の男性社員の間ではマドンナ的存在であった。

「事件があった車両はどちらの会社ですか?」

「川北のB社だ。知っているか?」

川北市は宝塚に隣接する都市で、最近では「トイレの神様」のおばあちゃんが住んでいた町として有名になった。

同じ営業エリアでなくても隣接エリアの事業者とはいろんな意味で絡みがあり、会社名のみでなく何人かの運転手まで知っているものである。

「B社ですか、川北でタクシー約50台を保有する中規模事業者ですね。社訓は確か…『親切丁寧、笑顔を絶やさず整理整頓』でしたかね」

「社訓など聞いていないが(うそくさいな)…随分詳しいじゃないか。ところでこのB社なんだが、G…」

「GPSが備えられていない」

夏祭の言葉を遮るように、影村が言った。車内にしばし沈黙が流れた。

「なぜ知っている?」

「そんなこと知らずとも簡単でございます。B社にGPSが完備されていれば、今回の事件の発覚がそれほど遅れることはなかった。辻褄が合いませんから」

「そのとおり。そこでわたしが聞きたいのは今どきそんなこと、事業車両にGPSがついていないなんてことがあり得るのかということなんだが…もちろんわたしのジャガーにもGPSはついている」

「それは素晴らしい、そのGPSで現在お客さまのジャガーがどこの修理工場で部品待ち放置されているかがわかるわけですね。しかしタクシー事業用のGPSというのは個人のものとは違いまして、ものによっては数千万から億単位もすると言われる非常に高価なものです。このような地方都市のタクシー会社ではそれだけの効果が見込めないと判断するところも多いのが実情です」

たった数千万で備えられるならなぜ付けないんだと金銭感覚のない公務員である以前に、中小企業の「御曹司」夏祭は内心首を傾げたが、さすがにそこがポイントではないというプロ意識は持っていた。

「とにかくGPSが備えられてなかったために事件の発覚が遅れてしまった。運転手…要するに犯人に逃げる時間を与えてしまった」

「発見されたときには運転手はもう車内にはいなかったわけですね」

発見されたときは車内には運転手はおらず、つり銭や日報なども残っていなかった。

車内には争った形跡があり、検死の結果はまだ出ていないが被害者は首を絞められて窒息死したと見られる。

事件が起こった車両で乗務していたのは松田善治(よしはる)55才。年齢は50代だが、入社3ヶ月の「新人乗務員」である。出身は大阪だが、東京の大学を中退した後はいくつかの職を転々としていた。東京で結婚していたが、5年ほどで離婚している。大学生になる娘が一人いるが、前妻とも娘ともほとんど連絡は取っていなかったようである。10年ほど前に関西に戻ってきていて、現在は伊丹で一人暮らししている。自家用車は持っておらず、電車通勤していた。

「自宅の郵便受けに残っていた新聞を見ると、事件の数日前から自宅のアパートには帰っていないようだ」

「ほぅ・・・事件の数日前からですか。それにしても郵便受けの新聞とは随分古風な捜査をされるんですね。電子版に変えたかもしれないやないですか」

「おぅ!そうか!スマホ時代やからな・・・その可能性があったか」

「いえ、その可能性はほとんどないと思います。ところで発見した運転手は松田とどのような関係だったんですか?」

会社の指示で最初に現場に向かい、事件車両を発見した運転手は小池幸一56才。社歴は10年近くで、出入りの激しいこの世界ではベテランの部類に入る。松田とは年齢も近く連絡を取り合っていた仲で、無線で現場に迎うことの出来る車両を問い合わせた際に、そちらの方面にいたわけでもないのに志願して現場に向かったとのことである。

「事件車両には鍵がかかっていたんですか?」

「その通り、車両には鍵がかかっていた。なぜそのことがわかった?」

「小池が現場で車内に『死体らしき』女性を目撃した、と言われましたね。その表現から車両に鍵がかかっていたと判断しました」

「ふむ・・・お前タクドラくんだりにしてはなかなか出来るやないか。もっと製造業とか他の仕事に就けなかったのか?」

「・・・その殺害された女性がどこから乗車したのか情報はあるんですか?」

B社の配車室長の吉塚進の話によると、その日の松田はナイトシフトで20時頃に出庫して朝の8時頃まで乗務する予定だった。最後に無線が入ったのが25時、要するに深夜1時に川北能勢口近くのバーから乗車した記録がある。

その後の聞き込みでその時間に事件車両が50代らしき男性と40前後に見える、恐らく被害者である女性を乗せたのをそのバーの店員が目撃している。

「被害女性の携帯受信歴から男の身元は割れている。西村義一52才、HSコーポの幹部社員だ」

西村とは既に連絡が取れていて、西村は被害女性と川北能勢口近くのイタリアンで食事をした後に、そのバーで軽く飲んでタクシーに乗車。仕事が残っていたために宝塚駅近くでタクシーを降りた。

「25時過ぎに会社に戻って仕事ですか?」

「うん、確かに不自然だがこの手の大手企業になると遅くまで残って仕事をしていたというのがいわゆるステイタスになるのだろう。お前のようなブルーカラーには分かるまいが」

「・・・一応襟(カラー)は白いんですが。普通に考えて西村が怪しいとは思わないんですか?」

「実際その時間に会社に戻って仕事をしていたのを複数の社員が目撃している」

「アリバイがあるわけですか。しかしその時間に複数の社員が会社にいるんですね・・・」

西村の証言によると、女性の自宅は篠山にあり、電車もない時間だったのでそのままタクシーで帰宅するはずだったとのことである。そのために西村は会社のタクシーチケットを女性に渡していた。

「しかし篠山に行くのになぜあんなみち(山道)を通ったのかと思わんか?高速で行ったらいいやないか」

「さすがはお客さま、わたしもその点は不思議に思いました。タクシーチケットなら基本的にそれほど料金を気にする必要もありませんし、何せ深夜ですからね。ところでB社の配車室には吉塚氏の他にはどなたかおられたんですか?」

「佐々木という嘱託社員がいたらしい。70才近くのじいさんで何を聞いても『よくわからない』の一辺倒だ」

「吉塚氏の年齢は?」

「・・・年齢まで聞いていないが50前後ではないかな。わたしほどではないがルックスはなかなかでタクシー会社ごときの社員にしては出来る男という印象だな。事件に関する情報は彼から得ているものが多い」

事件の一報が入ったのが17時を過ぎていたため、B社の所長とは連絡が取れていないらしい。タクシー会社の管理職は時間をきっちり守る律儀な人間が多く、緊急に呼び出されることの多い仕事なので携帯を2台持つなどして「いざというとき」のために備えている(仕事用の携帯電源は切っておく)。

「もう一つ伺いますが、事件車両にタコメーターは付いていたのですか?」

「タコメーター??なんだそれは、明石のタクシーメーターか?」

「・・・」

「とにかくこの事件の謎は犯人探しではない。運転手の松田があのような山中から一体どこに消えたかということだ」

「もしかしたらお客さまは運転手の松田が犯人だと本気で思っているんですか?」

「当たり前だ。こんな簡単な事件はない」

「恐れ入りますが、お客さまはもしかしたらアホでございますか?」

「な、な、なにぃ!」

「犯人は松田ではございません」

2012年4月29日日曜日

謎解きはタクシーの中で~「タクシー運転手が利用者の女を殺した」



「タクシー!!」

必要以上にサディスティックにタクシーを止めた夏祭(なつまつり)警部は明らかに苛立っていた。

タクシーの止め方にも人格が出るもので、控えめに…風が吹いたら飛ばされてしまいそうなくらい控えめに右手を上げる人もいれば、自分のうしろにAKBか韓国アイドルでもいるのだろうかと思ってしまうくらい必要以上に陽気に手をふる人もいる。

一方で、この夏祭警部のように、道路側に、行く手を塞ぐように水平に左手を伸ばし、

力づくでも止めてやる

みたいなオーラを発して手を上げる人間もいるのである。

この手の利用者の要求に応えるのはタクシードライバーとしては屈辱を感じたりもするのだが、だからと言って素通りすればこの利用者は迅速にタクシーセンター(通称タクセン)へそのタクシーのナンバーを伝えることだろう。

そう、なぜかタクセンを短縮ダイヤルに登録しているのだ

話は変わるが、乗車拒否されたとしてタクセンに苦情を入れたところでその利用者には何のメリットもない。場合によってはその運転手と会社が何らかの処分をされるかもしれない、という不確定な腹いせと、うまくいけばタクシー会社の冴えない事務方が自宅を訪れて、うわべだけの謝罪の言葉と冴えない菓子折りを置いていってくれるだろう。

とにかく今回このタクドラをバカにしたような、いけすかない、高圧的な利用者である夏祭警部の犠牲になったのはN社の影村というドライバーだった。

しかし影村はその伸ばされた左手の位置で止まる屈辱を避けて、分かっていながら、微妙に10メートルほど通りすぎてから車を止めた。

「こんばんは」

本来タクシーなど通るはずもない山道である。

影村は後部座席のドアを開けると、後方から不機嫌に歩いてきた夏祭を心のこもっていないあいさつで迎えた。

「なぜ止まらなかった?」

夏祭はもちろんあいさつなど返さずに、高校生の息子を叱るような言葉を投げつけてきた。

夏祭は30代半ばで警部の肩書きを持つ宝塚署のエリートである。見た目は、「10メートルくらい離れて見ると福山雅治に似ている」という、かつて交際していた(そして捨てられた)女性に言われた辛辣な皮肉を未だに誉めことばと信じて自分から他人に語っている。

実家は「夏祭商事」という夏祭用のうちわや法被などを作っている今どき苦しい典型的な中小企業だが、本人は自分が「御曹司」だと平気で人に語る。

「申し訳ありません。気づくのが少し遅かったようです。まさかこんなところで手を上げられると思っていなかったので・・・しかし結果的にこうしてお客様にお目にかかれて大変光栄です」

言葉は非常に丁寧だが、

何を言っているのかよくわからない

と思わせるこの影村は宝塚のタクシー法人N社に所属しているハンドル歴10年の謎の多いドライバーである。やはり30代半ばと運転手としては比較的若く、その容姿は利用者からよく「高嶋兄弟に似てる」というどっちなのかよくわからない誉め方をされるので、本人も気を良くしてそのまま他人に自慢している。

「ほんまにどいつもこいつも・・・エルヴィスタまでやって」

「エルヴィスタマンションですね、かしこまりました」

エルヴィスタとは宝塚の丘の上にそびえ立つちょっとハイソなマンションで、その名のとおり眺望は抜群だが何せ山の上に建っているので不便で仕方ない。その分駅からタクシーを利用する住人も多いのだが道中ひたすら坂を登り続けるためメーター料金の他に燃料サーチャージを請求したいくらいである(法人ドライバーにとって燃料費がいくらかかろうと関係ないのだが)。

人生の約半分に及ぶ35年の住宅ローンを抱えてまでこんな不便なところに住むような人間はきっと、極度に水害を恐れて水はけの良いところを求めてきたのか、または

人間を見下ろすことに優越感を感じている

に違いないという恐ろしいまでの偏見を影村は抱いていた。

「それにしてもタクシーってのはいつ乗っても乗り心地が悪いな・・・なんかバナナのにおいがするぞ・・・お前バナナ食ってたのか?」

「・・・はい。さすがでございます、お客様」

「なぜそんなことをしていた?」

「大変申しわけありません、こんなところ(山道)にまさかお客様がいらっしゃるとは思いませんでしたし・・・何よりとてもお腹がすいていたので」

「皮はどうした?まだこの車内にあるのか?それともまさか外に捨てたわけではあるまいな」

「皮は・・・申しわけありません、食べてしまいました」

「なにぃ!」

「ところでお客様はなぜこんなところでタクシーを止められたのですか?」

「ところでって(お前ほんまにバナナの皮食べたんか)・・・まあいい。捜査から帰宅しようとしたら、愛車のジャガーが故障してしまったんだ。それで仕方なく乗りたくもないタクシーを止めたんだ」

「お客様とてもラッキーでございます。あの場所でタクシーを待っていてももしかしたら朝までタクシーは来ないかもしれません」

「わたしがタクシーを呼んだらどこであろうとタクシーは来る。わたしはそれだけの権力を持っている」

「特に権力がございませんでも、呼んだらタクシーは来るものですが・・・もしかしたらお客様はタクシーを予約されていたんですか?」

「もちろん、わたしはそれだけの権力を持っている」

「(やば・・・今ごろあの山中に他社のタクシー向かってるわ)特に権力がございませんでもタクシーは呼ぶことができます。これからタクシーを呼ばれた際にはしっかり会社を確認されてから乗車してください」

まさか「タクシー運転手ごとき」に言葉を返されるとは思っていなかったエリート警部の夏祭はこのわけのわからない会話の中で不機嫌を増幅させていった。

「お前客に対してその言い方はないやろ。しかもわたしは警察官や、しかもただの警察官ではない、しかもエリート警部やで。そんなわたしにお前はなんという口を聞くんだ」

「しかも大変申しわけございません」

「お前はわたしをバカにしているのか?それともお前はジャガーに乗ったことがあるのか?」

怒りのテンションが上がってきた夏祭は何の脈絡もない、意味のわからない質問を浴びせてきた。

「ございます」

「嘘をつくな。お前のようなタクドラがジャガーに乗ったことがあるわけがないやろ」

「かつて代行運転をしていたことがありまして、そのときに乗らせていただきました」

「代行か・・・それならこのような車とどれほど乗り心地が違うかお前にもわかるだろう」

「はい、あれほど狭くて乗り心地の悪い車もありませんでした。燃費は恐ろしく悪いですし。こちらの車はその名も『クラウンコンフォート』と申しまして、直訳しますと、『王様、乗り心地最高!』でございます」

「うぬぅ・・・燃費の話などしてない!わたしはガソリンが(リッター)200円になろうと、300円になろうと全く困らないのだ」

「大変申しわけありません。ジャガーなど乗っていたら、燃料費より修理代の方がよっぽど高くつくことを忘れていました」

「不快や!この上なく不快や!やはりタクシーのような貧乏人の乗り物などに乗るんでなかった。だからお前らは人殺しなどするんだ」

ここまで心の中でこの高飛車な警察官をバカにしながら走っていた影村もこの、「人殺し」という言葉には反応せざるを得なかった。

「人殺し・・・でございますか。それは聞き捨てなりませんな」

影村の反応に夏祭は満足したように勝ち誇った笑顔を見せた。

「そうだ。その捜査でわたしはあんなところ(山中)にいたんだ」

「それはどういうことでございますか?よろしかったらお話いただけませんか」

「タクシー運転手が利用者の女を殺した。それが今回の事件だ」


2012年1月14日土曜日

大晦日のワンメーター⑤~完結編 「扉」

バックナンバー
大晦日のワンメーター①
大晦日のワンメーター②
大晦日のワンメーター③
大晦日のワンメーター④

そのときである。

駅舎からスーツを着た一人の若者が現れた

年の頃は20代も後半くらいだろうか。

何か今どきの売れっ子俳優のように、色白で顔が小さく、そしてうまく説明できないのだが・・・賢そうに見えた。

わたしは、わたしの車の横につけていた若い運転手に言った。

「お客さんやないの。乗せて帰り」

見ると若い運転手は

ただ前を見据え、

わたしの言葉など耳に入っていないようであった。

もう一度言った。

「あの人タクシー乗りたいんやないの。行っておいで」

「えっ?はい、あの・・・承知しました」

「たのむわ」

若い運転手はゆっくりと車を前に出して、

スーツの若者の横につけ、ドアを開けた。

あの若い運転手の名前はなんと言っただろうか。

吉田君やったな

この小さな町にはタクシー会社は2つしかない。

吉田君はわたしとは別の、この町のもう一つのタクシー会社の乗務員であった。

彼がこの町の運転手仲間になったのは、4~5年前だろうか。

普段このS駅には入ることもなく、

大晦日にだけここに来る

それほど親しくもないし、

年齢もわたしたちとは少し離れているので、

大晦日にこの駅に来ても、彼だけは輪に入ってくることはない。

一人自分の車にこもり、

スマホなるものをいじっている。

髪を金色に染め、

そして「家政婦のミタ」のように決して笑わなかった。

名前は思い出せないが、ワールドカップに出ていたサッカー選手に似ている。

この4,5年、他の運転手仲間が姿を消しても、

最後までわたしの後ろに残っているのはいつも吉田君だった。

前方では客らしき若者が、

ドアを開けた吉田君のタクシーに顔を半分突っ込んで何やら話し込んでいる

しかし若者はなかなかタクシーに乗らない

トラブルやろか・・・

心配し始めた頃に吉田君のタクシーのドアが閉まる

結局若者は乗らなかった

値段交渉決裂か・・・

吉田君の車が黄色いランプをつけてバックしてくる。

「なんかこっちの『予約車』に乗りたいみたいですわ。お願いしていいですか?」

「え・・・いや・・・どうしようか」

「それはあなたが決めることです」

予期していなかった申し出にわたしは戸惑った。

20年である

このときわたしは、

もう(他の客を乗せても)いいかな

という気持ちと、

20年も待ったんだからこだわり続けたい

という2つの気持ちを行き来していた。

前方を見ると、

若者がこちらをじっと見つめ、深く頭を下げた

わたしは直感的に言った。

「ええよ、そんなら俺が行くわ」

車を前に出して、スーツの若者の横につける。

「どうぞ」

ドアを開けると、若者は緊張した面持ちで、

「どうもすみません。雪谷までお願いします」

雪谷・・・

「わ、わかりました」

車を走らせた。

少しの間沈黙が続く。

ラジオではフィナーレが近づく紅白歌合戦が流れている。

若者が口を開いた。

「やっぱり紅白聴いてるんですね」

やっぱり?

「あ、あぁ、NHK聴くことが多いね。あんまり意識してないけど、ABCラジオの阪神トーク聴いててもおもろないしね」

「なぜ乗せてくれたんですか?」

「え?・・・」

「予約車のうわさ聞きました」

「そうか、知ってたんやね。もう20年やからね・・・何度か酔っ払いに絡まれたこともあるし、実際絡まれても仕方ないねんな。こんな田舎で、大晦日のこんな時間に予約車なんてあるわけないし、『乗車拒否や』って文句言われても仕方ないしな。なんかきっかけ探してたようなところはあったねん」

「きっかけ?」

「うん、もう来るわけないやろってな。それであんたが・・・どんな理由か知らんけど、わたしのタクシーに乗りたいと言って来た。あんたの目を見て、20年を捨てるにはふさわしい男や思ったわけや。ハハ」

タクシーは北山の交差点に差し掛かった。メーターは「810(円)」を表示していた。

「もしぼくが、運転手さんが待っていた、20年前の客だとしたら」

「えっ?」

「このあたりまで450円、ワンメーターで来てくれたんですよね。あのときはもちろん、そういうことわからなかったんですけど」

「・・・」

わたしはハザードを点けて、一度路肩に寄って車を停めた。

少しの間また沈黙があった

わたしはまた何も言わずに車を走らせた。

ルームミラーを見る

これが、あのときの・・・

「吉田健二と言います。あのときは本当にありがとうございました」

「・・・」

わたしはまだ声が出なかった。

少し息が苦しくなった。

「母親は、あの翌年、最後に家まで送っていただいた次の年に病気で亡くなりました」

「・・・お父さんは?」

「父はわたしが小さいとき、このタクシーの乗せてもらうより何年か前です。わたしはほとんど覚えていませんが、事業に失敗して、母の貯めていたなけなしの金を持ってどこかに消えてしまったそうです」

「それで3人で」

「そうです。母が亡くなったあとは身寄りもなく、わたしたち兄弟は施設に預けられました。わたしはまだ小さかったのでそれほど、なんて言うか・・・なかったんですが、兄はもう中学生でしたからいろいろつらいところもあったんだと思います」

「君は(あのときの)弟さんやね。お兄さんは今どうしてるの?」

「兄は施設の悪い連中といっしょに行動することが多くなりました。中学を卒業したとき、『仕事のあてが出来た』と言って、連中と施設を出て行きました。それ以来連絡が取れていませんでした」

「・・・そうか。君は?」

「わたしは施設で中学まで出してもらって、その後は工場なんかで夜間の仕事をもらいながら大検を受けて、通信制の大学を3年前に卒業しました。今は会計士を目指して勉強しています」

「会計士か、すごいね」

「いえ、今年も落ちました。なかなか難しいですよ」

「あの頃は『タクシー運転手になりたい』なんて言ってたのにね。ハハハ」

そんな話をしているうちに目的地が近づいてきた。

雪谷の、かつて家族が住んでいた長屋はもうとっくの昔になくなって、今はちょっとした公園になっている。

「前に家があった場所に行けばいいかな?」

「はい、今は公園になっているらしいですね」

若者との会話があまりにも衝撃的だったので、わたしは後ろにすっと車が一台つけて来ていることに気づかなかった。

やがて車は公園についた。

小さな公園には2つ付きのぶらんこが1対あるだけで、外灯が2つだけ寂しく点されていた。

「こんな時間にこんなところで何するの?」

「別に何をするわけでもないんですが、母親の墓もありませんし・・・この場所に来たかっただけです」

「帰りも送るよ。料金はいらないから」

「そんな、とんでもありません。とりあえずここでいいです」

メーターは、「1,930(円)」になっていた。

若者は2千円を出すと、

「おつりはいりませんから」

「・・・あぁ、ありがとう。本当にここでいいの?」

「はい」

ドアを開けると、

突然そこから声がした。

「運転手さんに70円のチップは失礼やろ」

びっくりして見ると、ドアを開けた横にもう一人の若者が立っていた。

金髪の吉田君だった

ルームミラーを見ると、吉田君の会社の緑の行灯のタクシーが見えた。

「兄です」

後部座席に座っている弟、吉田健二君が言った。

またドアの外から声がする。

「吉田光夫です。あのときは本当にありがとうございました」

「え・・・あの・・・」

弟が話し始めた。

「わたしたち兄弟も約20年ぶりです。施設で別れてから、いろんな手段で兄を探したのですが見つかりませんでした。そして最近になってフェイスブックで兄の名前を検索したら、ヒットしたんです。偽名を使ってアクセスしたら、この町でタクシーに乗っていることを知りました」

兄が話した。

「大晦日にあの駅で待ってたら、いつか弟が来ると思ったんです。それでいつも後につけさせてもらいました。黙っていて申しわけありません。始めてお会いしたときは本当に嬉しかったです」

弟は車を降りた。

わたしも、車を降りて2人の方へ歩いていった。

外の空気はかなり冷たかった。

「ずっと待ってたよ。大きくなったな」

わたしが言うと、兄が答えた。

「ありがとうございます。わたしは乗務中も時間があるとよくこの公園に来ていました」

兄は歩いて、公園の低いフェンスをまたいで入っていった。

「ちょうどこの辺りに、家に入る扉があったんですよ。もうボロボロで、風が吹いたら飛んでいきそうな扉でしたけど」

兄は何もない公園で、扉を開く動作をした。

「ここに母がいたんです。何もない空間でしたけど、風が入って冬はものすごく寒かったんですけど、なんか暖かかったんです。母が亡くなって、今までいくつも扉を開けたけど、あの暖かさはなかった。特別な扉だったんです」

弟が言った。

「大晦日に電車に乗って買い物に行くのが楽しみでした。たこ焼き買ってもらって、お菓子も買ってもらって、駅からはタクシーに乗って・・・一年に一度の贅沢だったんです。あの家の暖かさと同じくらい、このタクシーは暖かかったんです」

少しの間話をすると、2人は改めてわたしに礼を言って、兄のタクシーに乗り込んだ。

わたしもタクシーに戻った。

「寒・・・このどこが『暖かい』んやろ」

わたしはタクシーのヒーターをかなり弱めにしているので、よく客から「寒い」と文句を言われる。

しかし長い間この仕事を続けてきて、多くの人たちを、

それぞれの特別な「扉」へとつなぐこの仕事に誇りを感じていた

吉田兄弟が、いや彼らの「家族」が、そのことを改めてわたしに認識させてくれた。

今年も、また胸をはって仕事をしよう

ラジオの行く年来る年が2012年の始まったことを告げた。

ルームミラーを見ると、緑の行灯の車内で兄弟が話している。

笑顔が見えた

わたしは前を向いて、車を走らせた。

彼らがいつか新しい「扉」に出会えることを願って。

2012年1月9日月曜日

大晦日のワンメーター④~まだ続くことになりました(汗)

その次の年の大晦日、

その母子は現れなかった

わたしは例年のように駅に最後まで残り、

大晦日の数少ない終電の利用者が駅から姿を消し、

駅に静寂が訪れ

そして駅舎の電気が消されてもまだ駅に残っていた

ラジオの紅白歌合戦では、大トリの北島三郎が歌い終わり、

行く年来る年が新年の訪れを伝えた

わたしは何度が車外に出ては、身体を伸ばし

そして静かに駅を離れた。

何となく予感はあったが、

一年間待ち続けていた客に会えなかったショックは今も鮮明に覚えている

そして、その頃また

後にバブルと呼ばれた時代も終わった

その次の年も、また次の年も、母子は現れなかった。

しかし、

それでもわたしは毎年大晦日に出勤して、

そして必ず終電まで待ち、

終電では、サインを「予約車」にして待った

これはある意味乗車拒否なのかもしれないが、

わたしはいくら頼まれても他の客を乗せず、

駅の灯りが消えるまでそこに残ったのである。


・・・そしてあのときから20年の時が流れた

わたしは変わらず、大晦日の駅に残っていたが、

変わったのは、

わたしの他にも残っているタクシーが数台あったことである

大晦日のわたしの行動は、何年か経つと地域でも有名になり

「さすがに乗車拒否はあかんやろ」

なんて言いながら、

実は最後のおいしい客を回してもらえることを知っているドライバーたちがわたしと一緒に残り、

大晦日の夜に(外は寒いので)わたしの「予約車」の中に乗り込んでコーヒーを飲むのが恒例行事となっていた。

「今年こそ現れるかいな」

「そんなもん来るわけないやろ、その子どもたちやってもう立派な社会人やろ。この辺にはおらへんわ」

そんな会話を交わしながら、終電が入ってくると各自自分の車に戻った。

これは仲間内の暗黙のルールで、大晦日の終電では例え駅でどんな順番になっていても、

わたしの車を先頭に回す

ということになっていた。

そして、「その客」が現れたときだけわたしの車に乗せ、

それ以外は「予約車」として、後ろの車にまわってもらうのである。

そしてもちろん、

そんな客が現れるわけがないのは誰もがわかっていた

終電で若い女性客が1人わたしの後ろの車に乗り込み、

そして駅の人気もなくなった頃。

「それじゃ、そろそろ帰りますわ。良いお年を!」

最後までわたしの後にいた、あの頃のわたしと同じくらいの若い運転手がこすりそうなくらい近くに車をすり寄せ、ウインドウを開けて言った。

「あぁ・・・どうも、良いおと・・・」

そのときである。

駅舎からスーツを着た一人の若者が現れた。

-続く-

2012年1月6日金曜日

大晦日のワンメーター③~新年特別タクシードラマ

そして3年目の大晦日は非番だった。

しかし、わたしはまたあの母子が現れるような気がして、

休日出勤の希望を出した

大晦日に休日出勤を希望するような運転手は全国見渡してもわたしくらいではなかっただろうか。

そしてまた例年のように、

わたしは終電まで一人駅に残った

そして例年と違ったのは、

終電で、他の乗車客がいたことである。

「すみませーん、電車乗り過ごしてしまって・・・T駅まで行ってもらえますか」

T駅と言えば、5千円は超える仕事である。

「申しわけありません。予約車なんですよ」

「大晦日のこんな時間に予約ですか?」

「世の中変わった人がいるんですよ。ちょっと歩いたところにビジネスホテルがありますから・・・今日は空いてるはずです」

5千円の仕事を断って、ワンメーターの、しかも来るかどうかもわからない客を待っていたのだから、わたしもどうかしていたのだろう。

しかし果たして、その客は現れた。

暗い色のチェックの上着を来た婦人が、二人の息子を連れて駅舎から現れたのは、大晦日も23時をまわった時間、いつもと変わらない時間だった。

「あの・・・北山までですけど・・・よろしいですか?」

お待ちしてました。

「どうぞ」

実はこの年、運賃改定で初乗りは450円から520円に値上げされていた。

メーターを押すと、「520」の表示に、

「・・・520円ですか」

「昨年も大晦日に乗っていただきましたよね?」

「えっ・・・覚えてらっしゃるんですか?」

「その前の年も大晦日にわたしの車に乗っていただきました。料金はいつもと同じ(450円)で構いませんよ、差額はわたしが負担しますから」

「そんな・・・」

「その代わりと言ってはなんですが、今年はご自宅まで送らせてもらえませんか」

「そんな!とんでもありません」

「これはわたしの一年の最後の仕事になります。お客様を家まで送るのがわたしの仕事です。最後までやりきりたいだけです。わたしの我がままだと思ってください」

ここまで言うと、今年も変わらない古い半コートを来た婦人は観念したように自宅の場所を教えてくれた。

しばらくすると後部座席で、学生服を着た中学生らしき息子が母親に話し始めた。

「俺覚えてるで、この運転手さん」

「・・・そうかい」

「良かったな。今年は凍えながら歩かなくていいから」

「・・・そうね」

「実はお母さんには内緒にしてたんやけど、先月小学校で健二(弟)の参観会があってな、はがき見せたら母さん仕事休んでも行くやろ思って、母さんに黙って俺が代わりに参観会行ったねん」

「・・・あんた」

「健二の作文が市で表彰されたらしくてな、こいつがその作文をクラスみんなの前で読んだんやけどな」

「へぇー!どんな作文やったん?」

「『大晦日のタクシー』って題やねん。俺すぐこのタクシーの話やって気づいて、なんて恥ずかしいこと書くんやって思ったんやけどな、こんな感じやねん。

『ぼくは毎年大晦日にS駅からタクシーに乗って家まで帰ります。

いえ、本当は家までではなくて、ずっと手前の北山の交差点まで乗ります。

タクシーなんて乗るのは、そのときだけで、すごく嬉しくなります。

タクシーの中は暖かくて、駅から近くまでしか乗らないのに、運転手さんは

(ありがとうございました!)

って気持ちよく言ってくれます。

ぼくも大人になったら、お金持ちになれなくていいので、あんな暖かいタクシーの運転手になりたいです』

・・・俺聞いてたら涙が出てきてな」

わたしは運転席で泣いていた。

涙で前方が見えなくなったので、ハンカチを出して拭いた。

「あの・・・この辺でよろしいでしょうか?」

「あ・・・はい、あのどん突き(突きあたり)の家です」

母子の家は、時代に取り残されたような長屋だった。

その隣は病院の裏のお医者さんの自宅らしく、お城のような豪邸が建っていた。

神様はなんて不公平なんやろ・・・

風が吹いたら、倒れてしまいそうな建物の前で婦人は何度も頭を下げた。

「ありがとうございます。どうもありがとうございます」

「ありがとうございます!良いお年を」

-続く-

2012年1月5日木曜日

大晦日のワンメーター②~新年特別ドラマ

「あの・・・450円(ワンメーター)で行けますか?」

「・・・えー・・・行けると思います」

指定された交差点(北山)まではワンメーターぎりぎりの距離であった。

わたしはこの貧しいなりをした親子はきっと

神さまが自分を試すために現れた

と思わずにはいられなかった。

タクシードライバーとして、いや人として、

彼らにわたしがどのような対応を取るのか、

きっと見ているのだろう。

「どうぞ、乗ってください」

「近くですみません」

「北山のあたりにお住まいなんですか?」

「いえ・・・家は雪谷なんですが・・・」

北山からは約1キロほど先の場所である。

きっとそこから歩いて帰るつもりなのだろう。

後部では母子の話す声が聞こえる。

「タクシー乗れて良かったね」

「タクシーってぬくいな」

そうこうするうちに目的地の交差点に着いた。

「この辺でよろしいですか?」

「はい、あの・・・ありがとうございます」

「450円です」

料金をもらうと、ドアを開けずに

「実はわたしもこれが今日は最後の仕事で、この先の営業所まで帰るんですが、良かったら途中までお送りしましょうか?」

「いえ・・・そんな・・・」

「ほんの数百メートルです、遠慮しないでください。内緒ですけどね」

そして、そこから数百メートル走った先で車を停め、ドアを開けた。

婦人は何度も頭を下げ、お礼を繰り返した。

「どうもありがとうございます、ありがとうございます」

「こちらこそありがとうございます。良いお年を」

ドアを閉めると、角を左折して、

少し走ったところでまた左折して

わたしは反対方向の営業所へ帰った。

それがその年の大晦日のことであった。

そして一年が過ぎ、また大晦日を迎えた

その年も同じようにわたしは大晦日に出勤して、

同じように仲間たちを一人、また一人と送っていった。

「帰って紅白ですか?」

「せやな、他に見るもんもないからな」

「まだプロレスもやってませんしね」

「・・・プロレス?」

「紅白、長渕がたぶん3曲唄いますよ」

「・・・そんなわけないやろ」

そんな他愛もない会話を交わしながら、

最後のあいさつは自然と笑顔になるような年だった。

「良いお年を」

「良いお年を!」

そして、その年もわたしは終電をたった一台で迎え、

その年も終電の乗車客なく

帰ろうとしたそのとき・・・

駅舎からチェックの半コートを来た婦人と、息子が二人

まさに前年のVTRを観ているように現れた。

変わったところと言えば、息子の一人は中学にあがったのか学生服を着ていたことくらいだろうか。

「あの・・・北山までですけど・・・よろしいですか?」

「はい、どうぞ!」

そして、その前の年と同じように目的地から少し走ったところまで送って、

3人と別れた。

「どうもありがとうございます!良いお年を」

-続く-

2012年1月4日水曜日

大晦日のワンメーター①~新年特別タクシードラマ

もう20年以上前の大晦日のことだった。

巷はバブル景気に湧き、

タクシーも例外ではなかった

わたしはS駅という地方の駅で待機営業していたが、こんな田舎の駅でも12月ともなれば夜は食事をする間もないほどに忙しかった。

それでもさすがに大晦日ともなれば客足も止まり、

紅白歌合戦が始まる時間にもなると駅に並ぶ仲間の運転手たちも早めにあがっていく。

「お疲れさん!」

「どうもお疲れさんです!」

運転手同志、一年の労をねぎらう言葉もその年の景気を写すように自然と明るくなる。

「帰って紅白でも観るわ」

「今年はSMAPが出るらしいですね」

「すまっぷ?なんやそれ?」

「光ゲンジのバックダンサーですよ」

「…なんやそれ?」

そんな他愛もない会話を交わしながら、

一人また一人と年に最後の別れを告げて家路についていく。

「良いお年を!」

「良いお年を」

わたしは駅で働く運転手の中では最も若かったのと、

最後まで駅を守りたい

という気持ちから、もうタクシーに乗る客は少なかったが駅に残った。

年に最後の仕事を終え、

または友人や同僚と最後の酒を交わし、

何かをやりきったような客の笑顔を見るのが好きだったし、

そんな人達が、例え一人でも家に帰る足がないようなことは許されないと思ったからである。

そして23時の終電(田舎の終電は早い)を迎える頃には、

乗り場に残ったタクシーはわたしだけになっていた

終電が駅にはいる

こんな田舎の駅でも、終電ともなればタクシー乗り場に列が出来ることがあるのだが、

大晦日、年に最後にこの駅に停まった電車から降りてきた客はまばらで、

その数少ない人達も、駅に迎えに来ている数台の車に乗り込んでいった。

そして電車が駅を離れると、

静寂が辺りを包んだ

わたしはタクシーから降りて、少し満足げに身体を伸ばした。

今年も終わりか…

ふぅー

と吐いた息が暗闇の中で白く光る。

「さむ…雪でも降りそうやな」

一人つぶやくと、そそくさと車に乗り込み、車庫に帰ろうとしたその時だった。

もう誰もいないと思っていた駅舎から人影が現れた。

よく見ると、それは

中年の婦人と、小学生らしき男の子二人だった

おそらく母親とその息子だろう

チェックの半コートを着た夫人は、ゆっくりと迷ったように

わたしのタクシーに近づいてきた

古びたトレーニングジャージを着た息子たちは心配そうに母親について来る。

近くまで来ると、タクシーの外に出ていたわたしに婦人が白い息を吐きながら言った

「あの・・・北山の交差点までですけど・・・いいですか?」

北山の交差点と言えば、駅からちょうどワンメーターの距離である。

行き先が近いから遠慮しているのだろう。

「構いませんよ、どうぞ」

「あの・・・450円で行けますか?」

450円は当事のワンメーターの料金であった。

「・・・えー・・・行けると思います」

-続く-

2011年7月21日木曜日

この物語はフィクションです(ちょっとだけ涼しくなる話)

黒井卓志は45歳のタクシー運転手

一流大学を出て、

一流商社に就職し、

エリート人生を謳歌していたが、

ちょっとした歯車の狂いから信頼していた同僚に揚げ足を取られ、

出世コースから脱落し、

反りのあわない上司と口論したことをきっかけに辞表を提出した。

その後は友人のつてを頼りにシステム関係の下請け会社に転職し、

ITブームの波に乗って仲間と起業したのだが、

技術の進歩に着いて行くことが出来ずに、

2年ほどで解散し、

地元の神戸に帰って40歳過ぎからタクシーに乗り始めた

幸いだったのは事業への出資でなけなしの貯金をはたいたものの、

借金はほとんどなく、

妻と子ども二人の家族も彼に着いて来てくれた

ことであった。

商社マンだった頃はタクシーの運ちゃんなど下界の虫けらのようにバカにしていたものだが、

実際にタクシーの運転席に座ってみるとこれが面白い

戦略性、

人との出会い、

リアルな都市を舞台にした壮大なゲーム

卓志は経験を重ねるごとに、このタクシーという仕事の虜になっていった。

まだ慣れない頃は会社の休憩所で食事をして同僚とコミュニケーションを取ったり、

美味しそうな店があったら入ってみたりしたものだが、

慣れてくると仕事が面白いのと、

車を降りずに少しでも稼ぎたいという欲も出てきて、

コンビニでおにぎりをいくつか買って、

走りながら、または辻待ちしながら食べるようなことも多くなった。

この日もちょっと小腹がすいて、三宮の裏道で食事を済ませたのは良いが、

疲れがたまっていたのかウトウトと眠りに落ちてしまった

コンコン…

後部座席の窓をたたく音で目が覚めた。

「(乗っても)いいですか?」

「ど、どうぞ」

見ると40代くらい…自分と同じくらいの年代の男性がこちらを覗いている。

ドアを開けると、男性用香水の強い匂いが車内に入ってきた。

よく見ると、スーツも高そうである。

「いやぁ、良かった。こんなところでタクシーが捕まるなんてラッキーですよ」

「どうもすみません。ちょっとウトウトしてしまって…いつもはこんなことないんですけど」

「いえいえ、いいんですよ。タクシーの運ちゃんなんて大体車のなかでスポーツ新聞読んでるか寝てるか、どちらかでしょう?ハハハ」

「…」

「それにしても今日は街が賑やかですね。何かあったんですか?」

「なでしこジャパンですよ。女子サッカーの優勝で盛り上がってるんやないですか?」

「女子サッカー??なでしこジャパン?いや、ごめんなさい、今朝出張先のドイツから帰ってきたばかりで、日本で何が起こってるのかさっぱり知らないんですよ、ハハハ」

「(ドイツで起こってたんやけど…)」

「それにしても運転手さん、わたしと同じくらいの年齢に見えますけど・・・こんな仕事いつから始めたんですか?」

「(「こんな仕事」って・・・)えー・・・5年くらい前ですかね」

「5年ですか・・・どうなんですか?日本ではタクシーって運転手さんくらいの年齢で乗るもんやないような気がするんですけど。なんか落ち武者みたいなイメージあるやないですか」

「(「落ち武者」って・・・)いや実はわたしも以前は商社で働いてたんですけど、この仕事も結構楽しいですよ」

「商社ですか!わたしも実はそうなんですが・・・どちらで?」

「M社ですけど・・・」

「はぁー!わたしもM社なんですけど・・・」

「どこかで会ってたかもしれませんね」

「またどうして辞めはったんですか?」

「それは・・・まあいいやないですか」

「それにしてもタクシーですか・・・ずいぶん落ちたもんですね」

「(「落ちた」って・・・)わたしは商社の仕事を知ってますけど、お客さんはタクシーの仕事を知ってるんですか?」

「タクシーの仕事って・・・運転するだけの話やないですか?それ以上に何かあるんですか?」

「(まあいいか、けんかしても仕方ないし)えっと、御影山手でしたっけ?」

「はい、上の方です」

急な坂を登りながら、憂鬱な気持ちを隠していた。

早くこの男を降ろしたい

「まだ登ります?」

「はい、ほとんど一番上の方です」

「わかりました」

「運転手さん、見てくださいよ。この景色、神戸で最高の夜景です。これがわたしが(人生で)見ている景色です。あなたも辞めずにがんばっていたら、この景色を見れたのに・・・」

「・・・わたしは、海の近くが好きなんです」

「意味がわかりませんけど・・・ここでいいです」

「ありがとうございます」

やっと終わった・・・

しんどい客やった。

卓志はユーターンしようと、ルームミラーで後を確認する。

??あれ?(今降ろした客は)どこに行ったんやろ?

まあ、いいか

早くここを離れたい。

卓志はここまでこらえていた鬱憤を晴らすように

ものすごいスピードでバックして方向転換した

坂を降りようとしたとき

「キャー!!」

近くを歩いていた女性の叫び声が後方で聞こえた。

早く三宮へ戻って口直しならぬ、次の「普通の」客を乗せたかったが、

状況が「普通」ではなさそうなので、

車を止めて様子を窺いに行ってみた。

見ると道路の真ん中で人が倒れている

どこかで見たことあるな・・・この人

「ぅわー!!!!」

ここで目が覚めた。

前方にはさっき買い物したコンビニが見える。

ここは三宮か・・・

夢か

大きく一息ついた。

それにしてもリアルな夢やった。

卓志は助手席に置いていた新聞を広げた

午前中に一度隅から隅まで読んだはずの日経新聞だが、

社会面の一番下の記事

「神戸でタクシー死亡事故・・・

21日午後22時頃、神戸御影山手でタクシーから降車した会社員黒井卓志(45)が、

タクシーの方向転換に巻き込まれ死亡」