その次の年の大晦日、
その母子は現れなかった
わたしは例年のように駅に最後まで残り、
大晦日の数少ない終電の利用者が駅から姿を消し、
駅に静寂が訪れ
そして駅舎の電気が消されてもまだ駅に残っていた
ラジオの紅白歌合戦では、大トリの北島三郎が歌い終わり、
行く年来る年が新年の訪れを伝えた
わたしは何度が車外に出ては、身体を伸ばし
そして静かに駅を離れた。
何となく予感はあったが、
一年間待ち続けていた客に会えなかったショックは今も鮮明に覚えている
そして、その頃また
後にバブルと呼ばれた時代も終わった
その次の年も、また次の年も、母子は現れなかった。
しかし、
それでもわたしは毎年大晦日に出勤して、
そして必ず終電まで待ち、
終電では、サインを「予約車」にして待った
これはある意味乗車拒否なのかもしれないが、
わたしはいくら頼まれても他の客を乗せず、
駅の灯りが消えるまでそこに残ったのである。
・・・そしてあのときから20年の時が流れた
わたしは変わらず、大晦日の駅に残っていたが、
変わったのは、
わたしの他にも残っているタクシーが数台あったことである
大晦日のわたしの行動は、何年か経つと地域でも有名になり
「さすがに乗車拒否はあかんやろ」
なんて言いながら、
実は最後のおいしい客を回してもらえることを知っているドライバーたちがわたしと一緒に残り、
大晦日の夜に(外は寒いので)わたしの「予約車」の中に乗り込んでコーヒーを飲むのが恒例行事となっていた。
「今年こそ現れるかいな」
「そんなもん来るわけないやろ、その子どもたちやってもう立派な社会人やろ。この辺にはおらへんわ」
そんな会話を交わしながら、終電が入ってくると各自自分の車に戻った。
これは仲間内の暗黙のルールで、大晦日の終電では例え駅でどんな順番になっていても、
わたしの車を先頭に回す
ということになっていた。
そして、「その客」が現れたときだけわたしの車に乗せ、
それ以外は「予約車」として、後ろの車にまわってもらうのである。
そしてもちろん、
そんな客が現れるわけがないのは誰もがわかっていた
終電で若い女性客が1人わたしの後ろの車に乗り込み、
そして駅の人気もなくなった頃。
「それじゃ、そろそろ帰りますわ。良いお年を!」
最後までわたしの後にいた、あの頃のわたしと同じくらいの若い運転手がこすりそうなくらい近くに車をすり寄せ、ウインドウを開けて言った。
「あぁ・・・どうも、良いおと・・・」
そのときである。
駅舎からスーツを着た一人の若者が現れた。
-続く-
首を長くして待ってた完結編。
返信削除見事に期待を裏切られましたよ。気持ち良い位に・・・
これはフィクションですか?ノンフィクションですか?
こんな結末・・・あっていいのだろうか?
返信削除いや、あってもいいのかもしれない。
ステージを浦安から東京に移したボクは、
「新人ですがよろしくお願いします!」
と元気良く言うと
「そんなことは私には関係ありません」
とすんなり言われた。
その人はまぎれもなく、
ボクにとって東京での初めてのお客さんだったんだ。
brackcabさんがなぜこの物語を掲載さたのか
知りたいな。。。
何を書いていいのやら混乱しておりますが、
返信削除とりあえず、見事に期待を裏切られました。
こゆきさんと同じく、brackcabさんの真意を知りたい。
匿名さん
返信削除ありがとうございます。
期待を裏切るのは良いのですが、内容が悪かったですね・・・
話はもちろん運転手としての実体験に基づくものもありましたが、基本的に完全なフィクションです。
小雪さん
返信削除ありがとうございます。
>brackcabさんがなぜこの物語を掲載さたのか
>知りたいな。。。
大晦日に「一杯のかけそば」を読んで、とても感動したので、タクシー版が書けないかな・・・なんて深く考えずに書き始めたのがきっかけです。
やはりこのようなブログをしているからには、しっかりと訴えるものを持って書かないといけませんよね。
鋭いコメントありがとうございます。
やじおさん
返信削除ありがとうございます。
書き直します!