そして3年目の大晦日は非番だった。
しかし、わたしはまたあの母子が現れるような気がして、
休日出勤の希望を出した
大晦日に休日出勤を希望するような運転手は全国見渡してもわたしくらいではなかっただろうか。
そしてまた例年のように、
わたしは終電まで一人駅に残った
そして例年と違ったのは、
終電で、他の乗車客がいたことである。
「すみませーん、電車乗り過ごしてしまって・・・T駅まで行ってもらえますか」
T駅と言えば、5千円は超える仕事である。
「申しわけありません。予約車なんですよ」
「大晦日のこんな時間に予約ですか?」
「世の中変わった人がいるんですよ。ちょっと歩いたところにビジネスホテルがありますから・・・今日は空いてるはずです」
5千円の仕事を断って、ワンメーターの、しかも来るかどうかもわからない客を待っていたのだから、わたしもどうかしていたのだろう。
しかし果たして、その客は現れた。
暗い色のチェックの上着を来た婦人が、二人の息子を連れて駅舎から現れたのは、大晦日も23時をまわった時間、いつもと変わらない時間だった。
「あの・・・北山までですけど・・・よろしいですか?」
お待ちしてました。
「どうぞ」
実はこの年、運賃改定で初乗りは450円から520円に値上げされていた。
メーターを押すと、「520」の表示に、
「・・・520円ですか」
「昨年も大晦日に乗っていただきましたよね?」
「えっ・・・覚えてらっしゃるんですか?」
「その前の年も大晦日にわたしの車に乗っていただきました。料金はいつもと同じ(450円)で構いませんよ、差額はわたしが負担しますから」
「そんな・・・」
「その代わりと言ってはなんですが、今年はご自宅まで送らせてもらえませんか」
「そんな!とんでもありません」
「これはわたしの一年の最後の仕事になります。お客様を家まで送るのがわたしの仕事です。最後までやりきりたいだけです。わたしの我がままだと思ってください」
ここまで言うと、今年も変わらない古い半コートを来た婦人は観念したように自宅の場所を教えてくれた。
しばらくすると後部座席で、学生服を着た中学生らしき息子が母親に話し始めた。
「俺覚えてるで、この運転手さん」
「・・・そうかい」
「良かったな。今年は凍えながら歩かなくていいから」
「・・・そうね」
「実はお母さんには内緒にしてたんやけど、先月小学校で健二(弟)の参観会があってな、はがき見せたら母さん仕事休んでも行くやろ思って、母さんに黙って俺が代わりに参観会行ったねん」
「・・・あんた」
「健二の作文が市で表彰されたらしくてな、こいつがその作文をクラスみんなの前で読んだんやけどな」
「へぇー!どんな作文やったん?」
「『大晦日のタクシー』って題やねん。俺すぐこのタクシーの話やって気づいて、なんて恥ずかしいこと書くんやって思ったんやけどな、こんな感じやねん。
『ぼくは毎年大晦日にS駅からタクシーに乗って家まで帰ります。
いえ、本当は家までではなくて、ずっと手前の北山の交差点まで乗ります。
タクシーなんて乗るのは、そのときだけで、すごく嬉しくなります。
タクシーの中は暖かくて、駅から近くまでしか乗らないのに、運転手さんは
(ありがとうございました!)
って気持ちよく言ってくれます。
ぼくも大人になったら、お金持ちになれなくていいので、あんな暖かいタクシーの運転手になりたいです』
・・・俺聞いてたら涙が出てきてな」
わたしは運転席で泣いていた。
涙で前方が見えなくなったので、ハンカチを出して拭いた。
「あの・・・この辺でよろしいでしょうか?」
「あ・・・はい、あのどん突き(突きあたり)の家です」
母子の家は、時代に取り残されたような長屋だった。
その隣は病院の裏のお医者さんの自宅らしく、お城のような豪邸が建っていた。
神様はなんて不公平なんやろ・・・
風が吹いたら、倒れてしまいそうな建物の前で婦人は何度も頭を下げた。
「ありがとうございます。どうもありがとうございます」
「ありがとうございます!良いお年を」
-続く-
もっ・・・もしかして・・・
返信削除始めまして、やじおと申します。
返信削除一杯のかけそば思い出しました。
この親子が成功して、再び現れることを願います。
k2さん
返信削除もっ・・・もしかして・・・
やじおさん
返信削除コメントありがとうございます!
「一杯のかけそば」泣きますよね。
しかし、パロディ(他の芸術作品を揶揄や風刺、批判する目的を持って模倣した作品、あるいはその手法のことを指す)ですから。
タクシーらしい(?)しょうもないオチがあります。
この週末にその全てが明らかになる・・・