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大晦日のワンメーター①
大晦日のワンメーター②
大晦日のワンメーター③
大晦日のワンメーター④
そのときである。
駅舎からスーツを着た一人の若者が現れた
年の頃は20代も後半くらいだろうか。
何か今どきの売れっ子俳優のように、色白で顔が小さく、そしてうまく説明できないのだが・・・賢そうに見えた。
わたしは、わたしの車の横につけていた若い運転手に言った。
「お客さんやないの。乗せて帰り」
見ると若い運転手は
ただ前を見据え、
わたしの言葉など耳に入っていないようであった。
もう一度言った。
「あの人タクシー乗りたいんやないの。行っておいで」
「えっ?はい、あの・・・承知しました」
「たのむわ」
若い運転手はゆっくりと車を前に出して、
スーツの若者の横につけ、ドアを開けた。
あの若い運転手の名前はなんと言っただろうか。
吉田君やったな
この小さな町にはタクシー会社は2つしかない。
吉田君はわたしとは別の、この町のもう一つのタクシー会社の乗務員であった。
彼がこの町の運転手仲間になったのは、4~5年前だろうか。
普段このS駅には入ることもなく、
大晦日にだけここに来る
それほど親しくもないし、
年齢もわたしたちとは少し離れているので、
大晦日にこの駅に来ても、彼だけは輪に入ってくることはない。
一人自分の車にこもり、
スマホなるものをいじっている。
髪を金色に染め、
そして「家政婦のミタ」のように決して笑わなかった。
名前は思い出せないが、ワールドカップに出ていたサッカー選手に似ている。
この4,5年、他の運転手仲間が姿を消しても、
最後までわたしの後ろに残っているのはいつも吉田君だった。
前方では客らしき若者が、
ドアを開けた吉田君のタクシーに顔を半分突っ込んで何やら話し込んでいる
しかし若者はなかなかタクシーに乗らない
トラブルやろか・・・
心配し始めた頃に吉田君のタクシーのドアが閉まる
結局若者は乗らなかった
値段交渉決裂か・・・
吉田君の車が黄色いランプをつけてバックしてくる。
「なんかこっちの『予約車』に乗りたいみたいですわ。お願いしていいですか?」
「え・・・いや・・・どうしようか」
「それはあなたが決めることです」
予期していなかった申し出にわたしは戸惑った。
20年である
このときわたしは、
もう(他の客を乗せても)いいかな
という気持ちと、
20年も待ったんだからこだわり続けたい
という2つの気持ちを行き来していた。
前方を見ると、
若者がこちらをじっと見つめ、深く頭を下げた
わたしは直感的に言った。
「ええよ、そんなら俺が行くわ」
車を前に出して、スーツの若者の横につける。
「どうぞ」
ドアを開けると、若者は緊張した面持ちで、
「どうもすみません。雪谷までお願いします」
雪谷・・・
「わ、わかりました」
車を走らせた。
少しの間沈黙が続く。
ラジオではフィナーレが近づく紅白歌合戦が流れている。
若者が口を開いた。
「やっぱり紅白聴いてるんですね」
やっぱり?
「あ、あぁ、NHK聴くことが多いね。あんまり意識してないけど、ABCラジオの阪神トーク聴いててもおもろないしね」
「なぜ乗せてくれたんですか?」
「え?・・・」
「予約車のうわさ聞きました」
「そうか、知ってたんやね。もう20年やからね・・・何度か酔っ払いに絡まれたこともあるし、実際絡まれても仕方ないねんな。こんな田舎で、大晦日のこんな時間に予約車なんてあるわけないし、『乗車拒否や』って文句言われても仕方ないしな。なんかきっかけ探してたようなところはあったねん」
「きっかけ?」
「うん、もう来るわけないやろってな。それであんたが・・・どんな理由か知らんけど、わたしのタクシーに乗りたいと言って来た。あんたの目を見て、20年を捨てるにはふさわしい男や思ったわけや。ハハ」
タクシーは北山の交差点に差し掛かった。メーターは「810(円)」を表示していた。
「もしぼくが、運転手さんが待っていた、20年前の客だとしたら」
「えっ?」
「このあたりまで450円、ワンメーターで来てくれたんですよね。あのときはもちろん、そういうことわからなかったんですけど」
「・・・」
わたしはハザードを点けて、一度路肩に寄って車を停めた。
少しの間また沈黙があった
わたしはまた何も言わずに車を走らせた。
ルームミラーを見る
これが、あのときの・・・
「吉田健二と言います。あのときは本当にありがとうございました」
「・・・」
わたしはまだ声が出なかった。
少し息が苦しくなった。
「母親は、あの翌年、最後に家まで送っていただいた次の年に病気で亡くなりました」
「・・・お父さんは?」
「父はわたしが小さいとき、このタクシーの乗せてもらうより何年か前です。わたしはほとんど覚えていませんが、事業に失敗して、母の貯めていたなけなしの金を持ってどこかに消えてしまったそうです」
「それで3人で」
「そうです。母が亡くなったあとは身寄りもなく、わたしたち兄弟は施設に預けられました。わたしはまだ小さかったのでそれほど、なんて言うか・・・なかったんですが、兄はもう中学生でしたからいろいろつらいところもあったんだと思います」
「君は(あのときの)弟さんやね。お兄さんは今どうしてるの?」
「兄は施設の悪い連中といっしょに行動することが多くなりました。中学を卒業したとき、『仕事のあてが出来た』と言って、連中と施設を出て行きました。それ以来連絡が取れていませんでした」
「・・・そうか。君は?」
「わたしは施設で中学まで出してもらって、その後は工場なんかで夜間の仕事をもらいながら大検を受けて、通信制の大学を3年前に卒業しました。今は会計士を目指して勉強しています」
「会計士か、すごいね」
「いえ、今年も落ちました。なかなか難しいですよ」
「あの頃は『タクシー運転手になりたい』なんて言ってたのにね。ハハハ」
そんな話をしているうちに目的地が近づいてきた。
雪谷の、かつて家族が住んでいた長屋はもうとっくの昔になくなって、今はちょっとした公園になっている。
「前に家があった場所に行けばいいかな?」
「はい、今は公園になっているらしいですね」
若者との会話があまりにも衝撃的だったので、わたしは後ろにすっと車が一台つけて来ていることに気づかなかった。
やがて車は公園についた。
小さな公園には2つ付きのぶらんこが1対あるだけで、外灯が2つだけ寂しく点されていた。
「こんな時間にこんなところで何するの?」
「別に何をするわけでもないんですが、母親の墓もありませんし・・・この場所に来たかっただけです」
「帰りも送るよ。料金はいらないから」
「そんな、とんでもありません。とりあえずここでいいです」
メーターは、「1,930(円)」になっていた。
若者は2千円を出すと、
「おつりはいりませんから」
「・・・あぁ、ありがとう。本当にここでいいの?」
「はい」
ドアを開けると、
突然そこから声がした。
「運転手さんに70円のチップは失礼やろ」
びっくりして見ると、ドアを開けた横にもう一人の若者が立っていた。
金髪の吉田君だった
ルームミラーを見ると、吉田君の会社の緑の行灯のタクシーが見えた。
「兄です」
後部座席に座っている弟、吉田健二君が言った。
またドアの外から声がする。
「吉田光夫です。あのときは本当にありがとうございました」
「え・・・あの・・・」
弟が話し始めた。
「わたしたち兄弟も約20年ぶりです。施設で別れてから、いろんな手段で兄を探したのですが見つかりませんでした。そして最近になってフェイスブックで兄の名前を検索したら、ヒットしたんです。偽名を使ってアクセスしたら、この町でタクシーに乗っていることを知りました」
兄が話した。
「大晦日にあの駅で待ってたら、いつか弟が来ると思ったんです。それでいつも後につけさせてもらいました。黙っていて申しわけありません。始めてお会いしたときは本当に嬉しかったです」
弟は車を降りた。
わたしも、車を降りて2人の方へ歩いていった。
外の空気はかなり冷たかった。
「ずっと待ってたよ。大きくなったな」
わたしが言うと、兄が答えた。
「ありがとうございます。わたしは乗務中も時間があるとよくこの公園に来ていました」
兄は歩いて、公園の低いフェンスをまたいで入っていった。
「ちょうどこの辺りに、家に入る扉があったんですよ。もうボロボロで、風が吹いたら飛んでいきそうな扉でしたけど」
兄は何もない公園で、扉を開く動作をした。
「ここに母がいたんです。何もない空間でしたけど、風が入って冬はものすごく寒かったんですけど、なんか暖かかったんです。母が亡くなって、今までいくつも扉を開けたけど、あの暖かさはなかった。特別な扉だったんです」
弟が言った。
「大晦日に電車に乗って買い物に行くのが楽しみでした。たこ焼き買ってもらって、お菓子も買ってもらって、駅からはタクシーに乗って・・・一年に一度の贅沢だったんです。あの家の暖かさと同じくらい、このタクシーは暖かかったんです」
少しの間話をすると、2人は改めてわたしに礼を言って、兄のタクシーに乗り込んだ。
わたしもタクシーに戻った。
「寒・・・このどこが『暖かい』んやろ」
わたしはタクシーのヒーターをかなり弱めにしているので、よく客から「寒い」と文句を言われる。
しかし長い間この仕事を続けてきて、多くの人たちを、
それぞれの特別な「扉」へとつなぐこの仕事に誇りを感じていた
吉田兄弟が、いや彼らの「家族」が、そのことを改めてわたしに認識させてくれた。
今年も、また胸をはって仕事をしよう
ラジオの行く年来る年が2012年の始まったことを告げた。
ルームミラーを見ると、緑の行灯の車内で兄弟が話している。
笑顔が見えた
わたしは前を向いて、車を走らせた。
彼らがいつか新しい「扉」に出会えることを願って。
感動しました。情景が目に浮かびます。
返信削除aki1960さん
削除ありがとうございます!タクシーは続ければ続けるほど味が出てくる職業です。その辺を表現したい気持ちがありました。
書き直したんですネ!
返信削除もう一度最初っから読み直します♪
こゆきさん
削除ありがとうございます!
前回のはね、あれはジョークですよ。というか、現実でしょうか…理想を求めて仕事がしたいですよね。
今回は、そういう気持ちで書きました。
あけまして、おめでとうございます!(遅くないですか・・・)
返信削除早いですね、もう1月も半分ですよ。
よみよみしていて、あれ?なんだこれ?兄さん頭おかしくなったんじゃ・・・ちがう!これ小説だ・・・半分ぐらい読んでしまった。
あわてて、①から読み返す。(すみません、しばらくネットパソコンの環境をはなれていまして)
吉田君二人でてきてるし・・・たぶん子供やん・・・でもあたたかいじゃないですか。最後、綺麗に着陸してるし。
①から読んでいたら素直に感動できました・・・
まつおさん
削除あけましておめでとうございます!
「一杯のかけそば」に出てくる蕎麦屋の「北海亭」は、北海道(札幌)の、たぶん架空の蕎麦屋さんなんですよ。
あれだけ話題になった蕎麦屋を実際に作らない。その辺が北海道人の慎ましさであり、逆に言えば商魂が乏しいとも感じます。
釧路に作ったらいいんですよ。
いい話になりましたね。
返信削除けれど、blackcabさんにとっては、
当初の予定と違う結果ですかね。
予想できない結末という意味では、
前回の方ですけど、物語を引っ張ったんで
みんな、こういう結末を望んでしまったのかも?
次の物語期待しております。
ありがとうございます!
削除フィクションの中でも現実にタクシーに乗っていてあってもおかしくないような情景を描きたい思いました。
そうしたなかでタクシーという仕事とは何か、素晴らしさとか問題提起とか伝えられたらと。前回が後者で今回が前者ですね。が
お疲れ様です
返信削除やっぱり今回のお話の方が良かったです(涙が出そうでした)
このようなドライバーさんみたいに仕事が出来ればいいなと思いますが、なかなかです。
正直、頭の中は運収の事で一杯です。
余裕がないですね。
たくぞうさん
返信削除ありがとうございます!
>正直、頭の中は運収の事で一杯です。
そうなんですよ。運収を作っていくのもタクシーの面白さの一つですが、少し目を離すと、何かを繋いでいく、紡いでいくような仕事でもあります。
最近少し余裕が出来たんでしょうか、ローカルだからでしょうか、見えてきたものもあります。
初めまして。
返信削除東京在住ですが、2年程前にタクシー運転手への転職を考えていた頃にこちらのブログに辿りつき、時々拝見させて頂いてました。
毎回、なんか面白いですね。
変える前の話は読んでないので分かりませんが、非常に良かったです。
また、ちょくちょく寄らせてもらいます。
Queenさん
削除ありがとうございます!
タクシーへの転職を考えてる方に読んでもらって、「タクシーって思ってたより楽しそう…」なんてことが少しでも伝わったら、と思いつつ書いてます。
今後はいろんな地域の運転手が情報交換出来たらいいなあ、なんて漠然と考えてます。
またよろしくお願いします!