一流大学を出て、
一流商社に就職し、
エリート人生を謳歌していたが、
ちょっとした歯車の狂いから信頼していた同僚に揚げ足を取られ、
出世コースから脱落し、
反りのあわない上司と口論したことをきっかけに辞表を提出した。
その後は友人のつてを頼りにシステム関係の下請け会社に転職し、
ITブームの波に乗って仲間と起業したのだが、
技術の進歩に着いて行くことが出来ずに、
2年ほどで解散し、
地元の神戸に帰って40歳過ぎからタクシーに乗り始めた
幸いだったのは事業への出資でなけなしの貯金をはたいたものの、
借金はほとんどなく、
妻と子ども二人の家族も彼に着いて来てくれた
ことであった。
商社マンだった頃はタクシーの運ちゃんなど下界の虫けらのようにバカにしていたものだが、
実際にタクシーの運転席に座ってみるとこれが面白い
戦略性、
人との出会い、
リアルな都市を舞台にした壮大なゲーム
卓志は経験を重ねるごとに、このタクシーという仕事の虜になっていった。
まだ慣れない頃は会社の休憩所で食事をして同僚とコミュニケーションを取ったり、
美味しそうな店があったら入ってみたりしたものだが、
慣れてくると仕事が面白いのと、
車を降りずに少しでも稼ぎたいという欲も出てきて、
コンビニでおにぎりをいくつか買って、
走りながら、または辻待ちしながら食べるようなことも多くなった。
この日もちょっと小腹がすいて、三宮の裏道で食事を済ませたのは良いが、
疲れがたまっていたのかウトウトと眠りに落ちてしまった
コンコン…
後部座席の窓をたたく音で目が覚めた。
「(乗っても)いいですか?」
「ど、どうぞ」
見ると40代くらい…自分と同じくらいの年代の男性がこちらを覗いている。
ドアを開けると、男性用香水の強い匂いが車内に入ってきた。
よく見ると、スーツも高そうである。
「いやぁ、良かった。こんなところでタクシーが捕まるなんてラッキーですよ」
「どうもすみません。ちょっとウトウトしてしまって…いつもはこんなことないんですけど」
「いえいえ、いいんですよ。タクシーの運ちゃんなんて大体車のなかでスポーツ新聞読んでるか寝てるか、どちらかでしょう?ハハハ」
「…」
「それにしても今日は街が賑やかですね。何かあったんですか?」
「なでしこジャパンですよ。女子サッカーの優勝で盛り上がってるんやないですか?」
「女子サッカー??なでしこジャパン?いや、ごめんなさい、今朝出張先のドイツから帰ってきたばかりで、日本で何が起こってるのかさっぱり知らないんですよ、ハハハ」
「(ドイツで起こってたんやけど…)」
「それにしても運転手さん、わたしと同じくらいの年齢に見えますけど・・・こんな仕事いつから始めたんですか?」
「(「こんな仕事」って・・・)えー・・・5年くらい前ですかね」
「5年ですか・・・どうなんですか?日本ではタクシーって運転手さんくらいの年齢で乗るもんやないような気がするんですけど。なんか落ち武者みたいなイメージあるやないですか」
「(「落ち武者」って・・・)いや実はわたしも以前は商社で働いてたんですけど、この仕事も結構楽しいですよ」
「商社ですか!わたしも実はそうなんですが・・・どちらで?」
「M社ですけど・・・」
「はぁー!わたしもM社なんですけど・・・」
「どこかで会ってたかもしれませんね」
「またどうして辞めはったんですか?」
「それは・・・まあいいやないですか」
「それにしてもタクシーですか・・・ずいぶん落ちたもんですね」
「(「落ちた」って・・・)わたしは商社の仕事を知ってますけど、お客さんはタクシーの仕事を知ってるんですか?」
「タクシーの仕事って・・・運転するだけの話やないですか?それ以上に何かあるんですか?」
「(まあいいか、けんかしても仕方ないし)えっと、御影山手でしたっけ?」
「はい、上の方です」
急な坂を登りながら、憂鬱な気持ちを隠していた。
早くこの男を降ろしたい
「まだ登ります?」
「はい、ほとんど一番上の方です」
「わかりました」
「運転手さん、見てくださいよ。この景色、神戸で最高の夜景です。これがわたしが(人生で)見ている景色です。あなたも辞めずにがんばっていたら、この景色を見れたのに・・・」
「・・・わたしは、海の近くが好きなんです」
「意味がわかりませんけど・・・ここでいいです」
「ありがとうございます」
やっと終わった・・・
しんどい客やった。
卓志はユーターンしようと、ルームミラーで後を確認する。
??あれ?(今降ろした客は)どこに行ったんやろ?
まあ、いいか
早くここを離れたい。
卓志はここまでこらえていた鬱憤を晴らすように
ものすごいスピードでバックして方向転換した
坂を降りようとしたとき
「キャー!!」
近くを歩いていた女性の叫び声が後方で聞こえた。
早く三宮へ戻って口直しならぬ、次の「普通の」客を乗せたかったが、
状況が「普通」ではなさそうなので、
車を止めて様子を窺いに行ってみた。
見ると道路の真ん中で人が倒れている
どこかで見たことあるな・・・この人
「ぅわー!!!!」
ここで目が覚めた。
前方にはさっき買い物したコンビニが見える。
ここは三宮か・・・
夢か
大きく一息ついた。
それにしてもリアルな夢やった。
卓志は助手席に置いていた新聞を広げた
午前中に一度隅から隅まで読んだはずの日経新聞だが、
社会面の一番下の記事
「神戸でタクシー死亡事故・・・
21日午後22時頃、神戸御影山手でタクシーから降車した会社員黒井卓志(45)が、
タクシーの方向転換に巻き込まれ死亡」
ご無沙汰していますbrackcabさん。
返信削除このストーリー凄くいいですね。
特に落ち武者の表現が気に入りました。かっての私とダブって感じました。ハンドルを握る人の心一つでそうなる場合もありますし、私自身も当初のころはコンプレックスを持っていました。
これ小説やドラマにしたら社会派のものが出来ると思うのです。
takachanさん
返信削除ありがとうございます!
実は夏の怪談話を書こうと思ったのですが・・・タクシーのところでどうしても深く入ってしまいますね。
リストラ、過労、世間の冷たい目、そして事故とタクシー問題のいろんなエッセンスを含めたつもりです。
http://tachikawa.tamaliver.jp/e178305.html
「お葬式」ですか・・・これも考えさせられますよね。楽しみにしてます。
こんにちは。
返信削除岩崎です。松岡さんと親しくさせていただいております。
管理人様の保有資格を拝見しました。
難関資格たくさん持ってらっしゃいますね。
特に英語はビジネスレベルではないのですか?
資格や特技を活かし、もっと高給を取れる仕事が管理人さまにはあるんじゃないかと、失礼ながら勝手に思ってしまいました。
英語を活かして、外国人相手に観光タクシーのお仕事もされているのでしょうか。
前職はなにされていたんだろう・・・。
管理人様に興味を抱いている今日このごろです。
岩崎さん
返信削除ありがとうございます。
わたしがいくつか資格を取得した中で最近感じるのは、資格を取得する能力と、資格を活用する能力は全く別物であるということです。そこのギャップが社会的損失になっています。
例えば医師免許を取得することには全く及ばない人物が医者としての高い能力を持っていたり、その逆もあるでしょう。
そういう意味ではわたしは今のところ両面で社会的損失に貢献しているかもしれませんが、裏返せばそこのギャップにチャンスも存在すると感じます。