先日久々に用事で大阪に出たのだが、
大阪梅田の駅を降りて、真っ先に向かったのが
阪急3番街のタクシー乗り場
10年前、この場所から俺のタクシー人生は始まった
この乗り場は大阪でも定番というか、
最も乗せやすい乗り場の一つで、
多いときは茶屋町の方まで待機車両があふれているのだが、
その日の朝は動きが良く、
「えっ、また進むの?えっ、早いな。心の準備が・・・」
3台目2台目くらいになると、ドキドキしてきて、
ついに先頭
そこまでトントン動いていたのに、
俺が先頭になった途端に動きが止まった(今でもそうやんな)
そんな気がしただけなのかもしれないが、
とにかく長く感じた
駅の並びの先頭って独特の雰囲気があって、
通る人みんなが自分のこと見てる
とか、
俺がここの主人公
なんていう意識過剰になったり、
誰がこの車に乗ってくれるんやろ
とか、
ここを歩いてる数十人、数百人の他人のうちの
(多くの場合)たった一人が俺の人生とリンクする瞬間が訪れる
なんて、通る人まさに一人一人、その服装仕草までが全て目に入ってくる
そんな特別な場所なんです
その特別な場所は10年経った今でも独特の緊張感がある
しかしこの初めての先頭
その緊張感はすごかったなぁ
そしてついに乗ってきたのは、
春なのにロングコートを着た、黒ぶちめがねをかけた小太りの男性
年齢は40代から50代くらいかなぁ
今でもその人の風貌はしっかりと頭に思い浮かべることが出来る。
初めての乗車やから優しそうな人がいいなぁ
なんて思っていたのだが、
「おはようございます!どちらへ行かれますか?」
教育では確か最初に新人であることを伝えるように言われていた気がするのだが、
明らかに分かる場所ならわざわざそんなこと言う必要もないやろ
という自分の勝手な判断から、このような言い方をしたように思う。
「OAP」
俺の希望は叶わず、恐らく会社ではそれなりのポストにいるような、
しかもちょっと厳しい上司
みたいな感じの冷たい目でさらっと言われた。
「はい?」
「OAPやって、OAP行って」
「あぁ、OAPですね・・・わかりました」
OAP
というのは、大阪アメニティパークの略で、大阪帝国ホテルと隣接している施設、
まあ大阪では非常に重要なポイントになるわけで、
当然教育段階でも何度か行っていたわけである。
要するにこの行き先は、
「明らかに分かる場所」
のはずやったわけだが、
行き先を聞いた途端
頭が真っ白になった
もうどうしていいかわからないわけですよ。
「あの・・・すいません・・・新人なんで・・・行き先誘導して頂いてよろしいですか?」
「はぁ?いいよ。早く行って」
この対応きつかったなぁ。
「先に言えよ」
みたいな。
わかってるんやけど、
その行き先わかってるんやけど、
どうにも思考能力がなくなってしまって、
もう頭に血が上って
わからなくなってしまったんです。
そんな風に言いたかったけど、
言ったら恐らく厳しい言葉を浴びせられそうで、
この年の3月は寒くて、大阪でも雪が降ったくらいなのだが、
もう身体中じっとりあぶら汗かいて、
梅田からOAPまで行くのって、
基本的には(歩けば)扇町通り一本で行けるんやけど、
扇町通りは途中から逆向きの一方通行になるので、
ちょっと細い道を通って行かないとあかんくて、
ややこしいだけに、そのルート確認も何度もしてたんやけど、
もう忘れてしまうのね。
「そこ曲がって!真っ直ぐ行けないよ。右曲がって、そこ左」
「はい・・わかりました」
梅田からOAPって、3キロ程度なのかな、実際結構近いんやけど、
長く感じたなぁ
いつになったら着くんやろ
って、ほんま今でもあの乗車は忘れられない。
料金は確か900円やったと思う
金もらったとき嬉しかったなぁ
お客さん普通に降りていったし、
大きなホテルのタクシー乗降場やから、
ちょっと停まってること出来なくて、
天満橋通りまで出て、路肩に車停めて、
少し息ついてた。
こんなんこれからやっていけるんやろか・・・
とりあえず次の乗車大丈夫やろかって
とは言っても2度目3度目の乗車は覚えてないんやけど。
あれから10年
今では、郊外に移ってきたものの
「運転手さんめちゃめちゃ道詳しいな」
「なんでそんな場所知ってんの?」
とか、
「やっぱプロやわ・・・」
なんてことも、自慢やないけど(自慢やけど)しょっちゅう言われるようになりました。
地域にもよるが、
タクシーの乗車は都会の隔日勤務で1乗務大体30回前後くらいやろか(東京くらいになるともっと多いやろけどな)
月にすると約300~400回
年間4千回くらいかな
ちなみに個人的な昨年1年間の乗車回数は3678回
10年では少なく見積もっても3万回以上
車内で出会った人たちも数万人に及ぶ
数え切れないほどの印象的な出会いはあったし、
嫌な思いをしたこともあったけれど
原点は忘れられない。
昨年オープンした梅田阪急はすっかり変わって、きらびやかになってしまったけど(前からデパートはきれいやったやろ)
3番街のタクシー乗り場は全く変わらないんよね
良い意味で古臭くて、暗くて、大阪らしくて(そこまで言って「良い意味」とか苦しいで)
あそこに行くと、あの頃のことを鮮明に思い出す
タクシーに乗り始めた頃に結婚したのだが、
そのときに、親父に言われた言葉がある。
「結婚相手の親には『タクシーを続けるつもりはない』と言えよ」
「はぁ?俺はずっとタクシー運転手になりたかったし、ずっと続けていくつもりだけど・・・」
「そのつもりでもいいから、そうやって言え。タクシーっていうのは、そういう職業だから」
・・・「そういう職業」
10年経っても未だその言葉が頭から離れない。
別に自分の親を批難するつもりはない。
実際タクシーに乗ってみたら、確かに日本では世間の目が「そういうもの」であることは痛いほど分かる。
なんで「そんな職業」になってしまったんやろ
よく考える
10年考えてやっと答えがわかった
運転手仲間と話していると、よく聞くフレーズがある。
「どうせこんな仕事してるから・・・」
「こんな仕事する前は・・・」
「アホらしい」
「子どもには絶対やらせたくない」
なんで?
なんでそう思うの?
俺たちがいなくなったら経済動かなくなるんちゃうの?
俺たちを必要としてる人たちは山ほどいるやろ
切実に、時には涙ぐんで客に感謝してもらうことあるやろ
あんたら毎日タクシー乗っててそれが分からないの
自分の仕事を本当に「アホらしい」と思うのなら、タクシーに限らず早いとこやめたらいい
それはもはや生活とか、そういうレベルの問題ではない(「あなたの生きている価値はあるのか」という話やんな)。
よく知られている話かもしれないが
イギリスのロンドンでは、タクシードライバーは非常にステイタス(社会的地位)の高い仕事で、
ツイッターなどで話すこともあるが、
日本の運転手とは全く違って
みな自分がドライバーであることに誇りを持っている
でもやってること、仕事の内容は我々日本の運転手と全く同じわけですよ
違うのは働く人間の意識だけ
「どうせ俺たち・・・」
なんて言ってるからバカにされるんや。
胸張って言いましょうよ。
我らタクシー運転手
文句あるかって、
40も近くなってきたが、
10年経っても、幸いにも自分は未だタクシー運転手としては若い部類に入る
まだまだ時間はある。
そんなに簡単ではないかもしれないが、
10年後20年後のタクシーのイメージを変える
そのために、
みんな高く意識持っていきましょうよ
そしていつか、
「タクシー運転手の婿さんもらって本当に良かった」
そんな時代が来ることを信じて。
大阪梅田の駅を降りて、真っ先に向かったのが
阪急3番街のタクシー乗り場
10年前、この場所から俺のタクシー人生は始まった
この乗り場は大阪でも定番というか、
最も乗せやすい乗り場の一つで、
多いときは茶屋町の方まで待機車両があふれているのだが、
その日の朝は動きが良く、
「えっ、また進むの?えっ、早いな。心の準備が・・・」
3台目2台目くらいになると、ドキドキしてきて、
ついに先頭
そこまでトントン動いていたのに、
俺が先頭になった途端に動きが止まった(今でもそうやんな)
そんな気がしただけなのかもしれないが、
とにかく長く感じた
駅の並びの先頭って独特の雰囲気があって、
通る人みんなが自分のこと見てる
とか、
俺がここの主人公
なんていう意識過剰になったり、
誰がこの車に乗ってくれるんやろ
とか、
ここを歩いてる数十人、数百人の他人のうちの
(多くの場合)たった一人が俺の人生とリンクする瞬間が訪れる
なんて、通る人まさに一人一人、その服装仕草までが全て目に入ってくる
そんな特別な場所なんです
その特別な場所は10年経った今でも独特の緊張感がある
しかしこの初めての先頭
その緊張感はすごかったなぁ
そしてついに乗ってきたのは、
春なのにロングコートを着た、黒ぶちめがねをかけた小太りの男性
年齢は40代から50代くらいかなぁ
今でもその人の風貌はしっかりと頭に思い浮かべることが出来る。
初めての乗車やから優しそうな人がいいなぁ
なんて思っていたのだが、
「おはようございます!どちらへ行かれますか?」
教育では確か最初に新人であることを伝えるように言われていた気がするのだが、
明らかに分かる場所ならわざわざそんなこと言う必要もないやろ
という自分の勝手な判断から、このような言い方をしたように思う。
「OAP」
俺の希望は叶わず、恐らく会社ではそれなりのポストにいるような、
しかもちょっと厳しい上司
みたいな感じの冷たい目でさらっと言われた。
「はい?」
「OAPやって、OAP行って」
「あぁ、OAPですね・・・わかりました」
OAP
というのは、大阪アメニティパークの略で、大阪帝国ホテルと隣接している施設、
まあ大阪では非常に重要なポイントになるわけで、
当然教育段階でも何度か行っていたわけである。
要するにこの行き先は、
「明らかに分かる場所」
のはずやったわけだが、
行き先を聞いた途端
頭が真っ白になった
もうどうしていいかわからないわけですよ。
「あの・・・すいません・・・新人なんで・・・行き先誘導して頂いてよろしいですか?」
「はぁ?いいよ。早く行って」
この対応きつかったなぁ。
「先に言えよ」
みたいな。
わかってるんやけど、
その行き先わかってるんやけど、
どうにも思考能力がなくなってしまって、
もう頭に血が上って
わからなくなってしまったんです。
そんな風に言いたかったけど、
言ったら恐らく厳しい言葉を浴びせられそうで、
この年の3月は寒くて、大阪でも雪が降ったくらいなのだが、
もう身体中じっとりあぶら汗かいて、
梅田からOAPまで行くのって、
基本的には(歩けば)扇町通り一本で行けるんやけど、
扇町通りは途中から逆向きの一方通行になるので、
ちょっと細い道を通って行かないとあかんくて、
ややこしいだけに、そのルート確認も何度もしてたんやけど、
もう忘れてしまうのね。
「そこ曲がって!真っ直ぐ行けないよ。右曲がって、そこ左」
「はい・・わかりました」
梅田からOAPって、3キロ程度なのかな、実際結構近いんやけど、
長く感じたなぁ
いつになったら着くんやろ
って、ほんま今でもあの乗車は忘れられない。
料金は確か900円やったと思う
金もらったとき嬉しかったなぁ
お客さん普通に降りていったし、
大きなホテルのタクシー乗降場やから、
ちょっと停まってること出来なくて、
天満橋通りまで出て、路肩に車停めて、
少し息ついてた。
こんなんこれからやっていけるんやろか・・・
とりあえず次の乗車大丈夫やろかって
とは言っても2度目3度目の乗車は覚えてないんやけど。
あれから10年
今では、郊外に移ってきたものの
「運転手さんめちゃめちゃ道詳しいな」
「なんでそんな場所知ってんの?」
とか、
「やっぱプロやわ・・・」
なんてことも、自慢やないけど(自慢やけど)しょっちゅう言われるようになりました。
地域にもよるが、
タクシーの乗車は都会の隔日勤務で1乗務大体30回前後くらいやろか(東京くらいになるともっと多いやろけどな)
月にすると約300~400回
年間4千回くらいかな
ちなみに個人的な昨年1年間の乗車回数は3678回
10年では少なく見積もっても3万回以上
車内で出会った人たちも数万人に及ぶ
数え切れないほどの印象的な出会いはあったし、
嫌な思いをしたこともあったけれど
原点は忘れられない。
昨年オープンした梅田阪急はすっかり変わって、きらびやかになってしまったけど(前からデパートはきれいやったやろ)
3番街のタクシー乗り場は全く変わらないんよね
良い意味で古臭くて、暗くて、大阪らしくて(そこまで言って「良い意味」とか苦しいで)
あそこに行くと、あの頃のことを鮮明に思い出す
タクシーに乗り始めた頃に結婚したのだが、
そのときに、親父に言われた言葉がある。
「結婚相手の親には『タクシーを続けるつもりはない』と言えよ」
「はぁ?俺はずっとタクシー運転手になりたかったし、ずっと続けていくつもりだけど・・・」
「そのつもりでもいいから、そうやって言え。タクシーっていうのは、そういう職業だから」
・・・「そういう職業」
10年経っても未だその言葉が頭から離れない。
別に自分の親を批難するつもりはない。
実際タクシーに乗ってみたら、確かに日本では世間の目が「そういうもの」であることは痛いほど分かる。
なんで「そんな職業」になってしまったんやろ
よく考える
10年考えてやっと答えがわかった
運転手仲間と話していると、よく聞くフレーズがある。
「どうせこんな仕事してるから・・・」
「こんな仕事する前は・・・」
「アホらしい」
「子どもには絶対やらせたくない」
なんで?
なんでそう思うの?
俺たちがいなくなったら経済動かなくなるんちゃうの?
俺たちを必要としてる人たちは山ほどいるやろ
切実に、時には涙ぐんで客に感謝してもらうことあるやろ
あんたら毎日タクシー乗っててそれが分からないの
自分の仕事を本当に「アホらしい」と思うのなら、タクシーに限らず早いとこやめたらいい
それはもはや生活とか、そういうレベルの問題ではない(「あなたの生きている価値はあるのか」という話やんな)。
よく知られている話かもしれないが
イギリスのロンドンでは、タクシードライバーは非常にステイタス(社会的地位)の高い仕事で、
ツイッターなどで話すこともあるが、
日本の運転手とは全く違って
みな自分がドライバーであることに誇りを持っている
でもやってること、仕事の内容は我々日本の運転手と全く同じわけですよ
違うのは働く人間の意識だけ
「どうせ俺たち・・・」
なんて言ってるからバカにされるんや。
胸張って言いましょうよ。
我らタクシー運転手
文句あるかって、
40も近くなってきたが、
10年経っても、幸いにも自分は未だタクシー運転手としては若い部類に入る
まだまだ時間はある。
そんなに簡単ではないかもしれないが、
10年後20年後のタクシーのイメージを変える
そのために、
みんな高く意識持っていきましょうよ
そしていつか、
「タクシー運転手の婿さんもらって本当に良かった」
そんな時代が来ることを信じて。