2014年11月9日日曜日

タクシーストーリー第20話~猫がいなくなりました2

「猫がいなくなりました」

「・・・猫・・・ですか」

予期していなかった答えに俺は言葉につまった。

客の雰囲気を見て、

何か話してほしい

タクシー車内では密室の空気に乗せられて(又は運転手の話術に乗せられて)、とんでもないことを話してしまう客もいる。

この人、これ話すの多分初めてやろなみたいな、

「かみさんと喧嘩してさ・・・」

「(さっきまで一緒に乗ってた友人が降りた瞬間に)ほんまはあいつ大嫌いやねん」

「(仕事の重大なミスを)誰もわたしのミスって気づいてないんですよ」

「昨日親に内緒で腰にタトゥー入れちゃいました」

というカミングアウト的な会話は、

「えー!!そんなこと言っちゃっていいんですか!(ウィスパーか)」

と言いたくなるほど最高にエキサイティングやったりする。

しかし、

「猫がいなくなった」

・・・面白くない。

別に俺に話さんでもいいやんみたいな(お前が突っ込んだんやろ)

だからと言って、

「猫がいなくなりました」

「あぁ、そうなんですか」

で終わらせられる話でもない。

厄介やな・・・と思いつつも、

「猫飼ってはったんですか」

当たり前というか、差し障りのないところを突いてみた。

「いえ、猫は飼ってません」

「・・・」

おいおい、どないやねん。

この後どう繋げたら良いねん。

幸いにも相手が繋げてくれた。

「家の庭からいつも覗いてた猫がいたんです。その猫がいなくなったんです」

「(『庭』ということは)一軒家にお住まいなんですか」

郊外とは言え、30前後で一軒家に住んでいるというのはちょっと気を引いた。

と言ってもパラサイト的に親と同居しているだけかもしれない。

「はい、昨年購入しました。50坪の土地に2階建て一人住まいです」
 
豊中に、一人(独身)で家を買って住む・・・

面白くなってきた(結局は他人事やんな)。

「購入されたって、ローンとか組みはったんですか」

「はい、中古ですけど、4000万の35年ローンです」

考えられない。

まあ、それなりに収入良いのかもしれへんけど、銀行もよく貸すよな。

「何でまた・・・(そんな思い切ったことを)」

「約束してた人がいたんです」

「約束って・・・?」

「婚約してました」

それで家を買ったわけか。

「婚約してた」人が、「昨年」家を買って、今独身一人暮らしということは、

おそらく逃げられたんだろう。

面白い・・・が、当然そこに直球で突っ込むわけにもいかない。

空気読もう。

何でこの人は俺にここまで話してくれたんだろう

そうや、猫や。

猫ってなんなんやろ。

「ところで、猫がいなくなったって、どういうことなんですか?」

 「ずっと見てたんです。彼女(婚約者)が出ていってから、庭からずっとわたしのことを見ていたんです」

 「はぁ・・・その猫が」

「いなくなったんです」

2014年10月20日月曜日

タクシーストーリー第19話~猫がいなくなりました

タクシー車内の会話というのは、

奇妙なものも多い

家族や友人とは話せないようなことを、

タクシードライバー・・・他人なのに、なぜか密室で2人きりになる

風俗でもなければ、こういうシチュエーションってあまりない(たとえが下品やな)

ある日の乗務やった。

夕方18時ころの乗車。

この時間帯の乗車は意外と少ない

飲みの「帰り」のタクシー利用は多くても、「行き」は電車か歩きで行くものである。

乗ってきたのは、30前後の男性やった。

「30前後の男性」の乗車も意外と少ない

20代って働きはじめで、給料もらうと気が大きくなって、

ちょっとタクシーなんて乗ってみようかなぁ・・・

みたいな気持ちになるものだが、

だんだんと社会生活にも慣れてきて、

家族も出来たりすると、

金銭の価値が次第と現実的なものになって、

タクシーというサービスの価値が分からなくなってくる。

タクシーなんて絶対乗らへん

というのは、30代から40代くらいやろか。

50代くらいになると、子どもも働き始めたり、ローンも払い終わったりして余裕が出てきて、

面倒やったり、かっこつけたかったりしてタクシーに乗り始める

一度乗り始めたら癖になるもので、

まあほんまに便利なもんやからね

まあとにかく30前後ですよ。

「こんばんは」

「こんばんは」

「どちら行かれます?」

谷町を北に向かって走っていた。

「豊中・・・の方なんですけど」

豊中か、悪くない。

比較的客の質も良い地域である(「質」の悪い地域ってどこや?)。

「分かりました。新御堂で上がりましょか?」

「あぁ・・・任せますよ」

「任せる」という客は意外とくせ者である。

こういう客はちょっとでも遠回りすると、めっちゃ突っ込んでくる。

自分で細かくルート指示したら突っ込みようがないから、

運転手をいじりたいから「任せる」という客もいる

要注意やで!

「新御堂上がって、江坂ら辺で降りて、176出たらよろしいですか?」

後で突っ込まれないように、細かくルート確認する。

「あぁ・・・任せますよ」

どうやら、ルートはどうでも良さそうである。

何か話したそうな空気である

客から切り出さなければ、黙っているのが基本だが、

近場の場合は黙っていたら空気が張り詰めることもあるので、こっち(運転手)から切り出すこともある。

この場合は近くもないが、

「話したい」客の空気を掴めるほどには、この仕事に入れるようになってきた。

「お客さん・・・(寂しそうですね)」

「・・・」

ルームミラーに移った客の目がぶつかってきた。

「なんかあったんですか?」

「なんで分かるんですか」

俺はちょっと余裕の笑みを浮かべてみた。

この場合はベテランを装った方が良い。

直感的に演技していた。

「目をみたら分かりますよ。身近な人に何かありましたか」

ちょっとギャンブルしてみた。

間違っていたら、この後の対応がややこしくなるが、

客の気を損なわなければ、

金さえもらえたら良い(言うな)。

ルームミラーの客の目が離れた。

「あの・・・、まあ、良いです」

間違いない。

この人は何か悩みを抱えている

俺は占い師のような心境になってきた。

「奥さんと、何かありましたか?」

これがツボにはまれば、この客俺のもんや(現実的にこんな質問ご法度やで)。

この世界ただ闇雲に走っているだけでは、金にならない。

何人かの「固定客」を持っている人がやっぱり安定して稼いでいる

俺もそろそろ「顧客」 が欲しい。

と思い始めた頃であった。

「いえ・・・結婚はしてません」

えー!独身やったん。

めっちゃ外したやん。

もうダメや・・・

まだ「本物」のタクシードライバーになりきれてへん

沈みかけたそのとき、

「30前後」の乗客は言った。

「猫がいなくなりました」

想定外の展開やった。

「猫・・・ですか」

 

2014年10月13日月曜日

タクシーストーリー第18話~熱く行こうぜ!

タクシーに海苔始めて半年・・・(変換間違えてるから)

いろんなことがあった

普通の仕事してたら、絶対こんな経験出来ひん。

やっぱタクシー乗って良かった

そんな風に感じ始めていた頃

事務所の山下さんと久々に言葉を交わす機会があった。

「どうや。うまくやってるか」

納金のとき、向こうに座ってた山下さんが俺に声をかけてくれた。

いつもは知らん顔してPCに向かっていたのに・・・

「はい・・・なんとなく・・・」

「『なんとなく』なんや?」

「なんとなく、タクシーのことが分かってきました」

山下さんは、PCから目を離して笑い始めた。

「ハハハ、面白いな」

席を立って、納金カウンターに歩み寄ってきた。

「何が・・・面白いんですか?」

何を言われるか、大体分かっていた。

「半年でタクシーが『分かった』か?面白いな」

ものすごい威圧感だった。

「だから、『なんとなく』って・・・(言ったやないですか)」

山下さんは、カウンターに両手をついた。

俺の目をぐっとえぐってきた。

「お前、まだタクシーのこと甘く見てるやろ」

ぐっと重い言葉やった。

そしてもう一度、その「重い一言」をぶつけてきた。

「バカにしてるやろ!」

何も言えなかった。

そんな気は全くなかったつもりだが、

これほど熱くぶつけられたら、何も言えなかった。

「タクシーってのはな、分からん連中には『バカにされる』職業や

今はな

でもな、そんな奴ら見返したるっていう気持ちがなかったら

今の日本ではこの仕事つとまらへんねん

まっすぐにな、

目の前の利用者

そして自分の職業見つめて、

よそからな、何を言われようと、

自分のやってる仕事

心から愛する気持ちがなかったら、

この仕事続かへん

いや、どんな仕事でも同じや・・・

でもこの仕事で違うのは「覚悟の大きさ」かもしれん

お前に、そういう覚悟あんのか

それが聞きたいねん。

お前はまだ若い。

そういう『若い奴ら』が熱い気持ちで、

プライド持って、この仕事しなんだら、

タクシー変わらへんで。

まだお前どっかでタクシーのことバカにしてへんか?

それが聞きたいねん」

ものすごい威圧感やった。

ものすごい熱さやった。

「覚悟」という言葉

その重さを考えていた。

自然と、口から出た言葉があった(プロジェクトXか)。

「俺・・・タクシー好きです」

山下さんは、俺の目から目を離さなかった。

「『好き』だけか?」

それ以上の言葉を発するには時間がかかった。

俺も山下さんの目を見据えた。

「愛してます」

 山下さんは右手を大きく上に挙げた。

「『いいね(LIKE)』やない(フェイスブックか)、『ラブ(LOVE)』やな?」

「はい、・・・LOVEです」

俺は、その右手に自分の右手を強く重ねた。

「世の中変えよう」

「はい!」

「熱く行こうぜ!」

その右手の熱さに俺は人生を捧げようと思った(この2人酒入ってるな・・・)


2014年10月7日火曜日

タクシーストーリー第17話~あの女性かも

ガ、ガ、ガー・・・あのときの・・・神社まで来てもらえますか」

無線機を握って応答しようとしたが、思いとどまった。

携帯電話でオペレーターに電話を入れる。

「あの・・・今配車ありました?」

「え??なんの?」

「いや、あの、無線鳴ったんですけど、ちょっと聞き取りにくかったんで」

「はぁ・・・きっと近くの無線が混線してるんやろ」

アナログ無線では、「混信」というのがしばしば生じる。

周波数や物理的な距離が近かったりすると、他の交信が入り込んでくるのだ。

それに比べて、デジタル無線は基本的に電波変調が暗号化されるために混信は生じない。

※2016年5月までにすべてのタクシー無線のデジタル化が義務付けられている。

それからは瓦町周辺を通過する度に、女性の声が「混信」してきた。

「ガ・ガ・ガー・・・こんばんは・・・今日は来てもらえますよね」

 俺は無視して走った。

というより、応答のしようがない。

無線を使って応答すれば、当然オペレーターに通じることになる。

それならそのエリアを避けて走れば良いのだが、

俺は敢えて松屋町筋を走った

仕事的になんとなくリズムが掴めたことと、

やはりどこかでその女性の声が気になっていた

あの女性かもしれない・・・

梅雨の始まったころだった。

乗ってきた女性は行く先も言わずに写真を差し出した。

「この神社へ行ってもらえますか」

新人だった俺は、どうして良いかも分からずに、とにかく車を走らせた。

「わたしの子どもがあの神社にいるんです」

少し話を聞くと、女性の子どもさんは病気で亡くなったらしい。

それなら神社でなく、寺院(墓地)なら分かるのだが・・・

女性の見た目は20代前半

とにかく話を聞いてほしい

という空気が背中に重くのしかかっていた。

「あの・・・若い頃にお子さん産んだんやね」

どこまでの会話が失礼になるのか不安もあったが、

何より行き先を言わずにタクシーに乗ってくること自体が「失礼」やないか。

という開き直りもあった。

「いえ、子どもは産んでません」

「え??どういうこと?」

「神社で子どもが待ってるんです」

俺はルームミラーを見た。

しっかりとした目で前を見据えている姿は妙に美しかった

しかし美しかろうと何だろうとこれ以上異常者の相手をしている暇はない。

一応俺は「仕事」をしているのだ。

俺は車を左に寄せて停めた。

「一応ここ有名な神社(生国魂神社)だから、ここでお子さん探してみたらどう?」

後部座席で女性は外を見つめていた。

こんな女性と、出来るならもう少し空間を共有したかった

もし女性が「正常」であれば・・・

仕事である限り、金をもらえなければ時間とか空間とかロマンチックな話をしている場合ではない。

「660円になります」

大きな500円玉の行灯を乗せたタクシーが隣を通過した。

大阪が「安売り戦争」に突入していく頃だった。

女性は財布から千円札を出した。

その瞬間(もう大丈夫と)俺はドアを開けた。

「これでコーヒーでも飲んでや」

釣りを要求せずに、女性は車を降りた。

その行動と、その口から発せられた言葉があまりにもイメージとかけ離れていたので、

俺はしばしその場所から動けなかった。

開いたドアから湿った風が入ってきた。

 
 

2014年9月15日月曜日

タクシーストーリー第16話~「お久しぶり」

仕事にも慣れてきた8月の終わりのある日の乗務のことだった。

タクシー無線は、その流しているエリアから電話があれば、GPSで近い車両に配車されるシステムになっている。

しかし都市のタクシーにとっては、無線はちょっとした宝くじのようなもので、そうそう当たるものではない。

路上で手をあげてくれる近場の客をコツコツ積んでいくことが、営収を作る最もソリッドなメソッド(ややこしいから日本語で書いてくれ)であることが分かってきた頃だった

※客を「積む」というのは一般的なタクシー用語だが、客を荷物のように表現するこの用語は外部(客との会話など)では御法度である

「無線なんてどこに流れてるんですかね・・・前回1本もありませんでしたよ」

出庫前の車庫で、先輩乗務員と話を合わせるために愚痴をこぼしてみた。

ネガティブな響きには、食いつきが良いのがこの業界の車庫談義である。

「あんなもんは、一部のやつらにしっかり握られてるからな。無線欲しかったら事務所に菓子折りでも持っていかなあかんで」

近くにいた「あんたも聞いてたんか」エリアから髪の薄い乗務員が嬉しそうに応えてくれた。

しかし俺の話していた、髪を7・3に分けた「ちょいワルサラリーマン」風の高橋さんは、その乗務員の髪を指差して、

「こいつな、1年前まで髪の毛ふさふさやってんで。それが去年の夏のPLの花火の次の日からいきなり涼しい髪型になってな。こんな奴多いねんで。どっかで『もうええわ』って・・・髪んぐアウトする奴」

「お前人の顔みりゃPLPLって・・・花火となんの関係があんねん」

髪の薄い乗務員は機嫌悪そうに去って行った。

高橋さんは、数年前に「ロード」とかいう歌でブレイクした難しい名前のグループ(虎舞竜)のボーカルの人に似ていた。

俺は邦楽はあまり聞かなかったので、そのボーカルの人がタクシー運転手になっているのかも、と本気で疑っていたほどである。

確か、あの人も名前が高橋・・・(よくある名前ですから)

「無線はな、やっぱりポイントがあんねん。時間と場所、両方がマッチしないとなかなか当たらん。新人には難しいよな。GPSでエリアがどんな形で分けられてるか、なんてことまで頭に入れとかんとあかんからな」

「そこまでして無線もらってメリットってあるんですか?」

「もちろん仕事によるよな。確かに無線は遠方飛ぶ仕事もあるけど、待たされてワンメーターってこともあるからな。えぐい奴らは、どこにどんな仕事があるかまで頭に入れてるよ」

なんとなく分かる。

高橋さんは続けた。

「でも結局そういう情報って、こういった車庫談義でずるずる垂れ流しになっていくからな。気づけば、その時間そのエリアに車がたまって取り合いになる」

「ということは、その周りにスペース(チャンス)が出来たりしませんか」

「スペースか・・・サッカーちゃうけど、その通りや。夕方は堺筋に車がたまる。瓦(町)近辺が面白い」

「ありがとうございます」

若い乗務員を「潰そう」という先輩もいれば、「育てよう」としてくれている先輩もいる。

その辺の「見極め」はこの世界で生きていく上で重要な要素である

その日の乗務で俺は早速夕方松屋町筋を流してみた。

無線が少ないということは、車も少ない。

無線を狙うより、「近場の客をコツコツ積む」回数勝負のセオリーである

この作戦が、夕方から面白いようにはまった。

松屋町を降りて、谷町で上がる。

17、18時代の苦しい時間帯に距離は短いがポンポンとつないでいけた。

そして乗車が落ち着きかけて、辺りも暗くなった20時過ぎ、

鳴らないはずの無線が、

ガ、ガ、ガー

ちょっと感度が悪いが、俺やろか。

スケルチを調整してみる。

「ガ、ガ、ガー・・・こ、こんばんわ・・・お久しぶり・・・」

な、なんやこれ。

女性の声だが、明らかにオペレーターの女性ではない。

そもそも無線指示で挨拶するわけない。

「あのときの・・・神社まで来てもらえますか・・・ガ、ガ、ガー」

2014年9月7日日曜日

タクシーストーリー第15話~実力勝負

どんな仕事でも、経験を増すごとにその習熟度が高まり、自分の仕事に自信が持てるまでになるには数年かかるものである。

その点では、タクシードライバーも変わりはない

しかし多くの仕事では、その習熟度や仕事に対する自信よりも、

その経験年数が収入基準に最も影響する要素であることが多い

そして人間というのは、絶対的な基準よりも、相対的な基準にこだわりを持つものである。

高い水準の収入が約束されている若者が「3年」ほどで辞めていくのは、多くの場合数年単位で段階的に与えられるインセンティブを実感できないことと、

何より、大きな顔をして上から目線で接してくる先輩を収入で「超える」ことは難しく、

例え出来たとしても途方もなく長い年月がかかるということに気づくのがきっと「3年」ほど経った頃なのだろう。

実力勝負なら負けない

そう思っている若者は多いだろうし、

俺もその一人だった

「あんた歳(とし)いくつ?」

よく聞かれる質問にうんざりしてはいたが、 交わしようのない質問でもある。

「28です」

「28!!20代か・・・まあ、またなんでタクシーなんか乗ろう思ったん?」

車庫で隣に車を停めている50代後半の運転手は、俺の運転席の窓に手をかけてタバコを吹かしながらニヤニヤしていた。

出庫前の時間つぶし(新人つぶし?)である。

「いや・・・運転好きですし、自分のペースで仕事が出来ると思ったんで」

これもよく聞かれる質問に、判で押したような、いつも用意しているものを「どっこらしょ」と引き出しから出すように答えた。

「自分のペースねぇ・・・」

長年「自分のペース」でしか仕事をしたことがない年配の運転手は、その言葉をうまく消化出来ず、思っていたようなネガティブな突っ込みが出来ないようだった。

「でもなぁ、こんなん(タクシー)若いもんがする仕事ちゃうで」

俺の返事を消化しないままに、先輩運転手は「自分のペース」で会話を続けた。

「どうしてですか?」

「俺ももう30年も乗ってるからな、いろんな奴見てきてる。まともな人生送りたかったら、こんな世界入ってきたらあかん」

おそらく「30年」というのは、おっさん特有の大げさな表現で、実際はそれほどでもないのだろう。

俺は胸につけていた「村田」という名札を、このとき始めて確認して言った。

「村田さんも、『若い頃』から乗られてたんですよね?」

「そうや。そんでもワシらの若い頃は、今みたいとちゃう。バブルの絶頂期でな、街は客で溢れとったで・・・」

俺はこれまでも嫌というほど聞かされている「昔話」が始まったことに気づき、

これは放っておいたら(営業時間を気にせず)どこまでも続くことも、この頃には分かっていた。

 「あの・・・そろそろ出庫したいんで」

営業所には、各運転手の営業収入のグラフが貼られている。

初乗務から4ヶ月目のグラフで、俺は村田さんの営収を超えた

それからは車庫で隣に車をつけても、村田さんはほとんど話しかけてこなくなった。

2014年8月13日水曜日

タクシーストーリー第14話~「怖い話」

初乗務の日は何が起こっているのか分からないまま過ぎて行ったが、

1週間ほど経つと、分からないなりに

「分からない」ということがためらいなく言えるようになって、

1ヶ月ほど経つと、対処の方法というか、

要するに乗客に聞いたら良い

ということが分かってきた。

もちろんタクシーなのだから、道を良く知っていなければいけないのは当然であるが、

ほとんどの乗客は自分の行き先を知っているもので、

上手に情報を引き出すことが重要であり、

うまくコミュニケーションが取れないと、

「タクシー運ちゃんのくせに道知らへんのか!」

となる。

しかし結局はこういう客は「分かります」と言っても、

「お前『分かる』言うたのに分かってへんやんか!」

どんな道を通っても突っ込んでくるものであることが分かってきた。

要するに、「コミュニケーション」であって、

「お客さんよく道知ってはりますねぇ・・・」

「この道から行けるんですかぁ、知りませんでした」

なんて持ち上げたら、ご機嫌になったりするものである。

もちろん、そんなことが分かるのは何年か先のことだが・・・

そんなことが「少しだけ」分かり始めた6月のある日のことだった。

日も長くなってきた頃だが、19時を過ぎてさすがに日も陰り始めた松屋町筋で、

若い女性が手を挙げていた

夕方の大阪は北向きは渋滞することが多く、南向きに走った方が良い

ということを先輩から教えてもらえるほどに車庫(会社)でもコミュニケーションを取れるようになっていた。

車を停めて、ドアを開けると女性が乗り込んできた

黒いブラウスと膝下までのジーンズにカジュアルなサンダル履きの女性は、髪が黒く・・・

髪が黒いのは当たり前だが、それにしても「黒いな・・・」と思えるほど鮮やかに黒く、

吸い込まれるような大きな瞳をしていた。

「あの・・・どちらへ行かれますか?」

美人というわけでもなかったが、妙にドキドキしたのは女性の胸が思ったより大きかったことだけが理由ではなさそうだった。

「あの・・・神社へ・・・神社へ行ってもらえますか?」

「神社??どちらの神社ですか?」

「分からないんですけど・・・」

「分からない??」

女性は一枚の写真をバッグから差し出した。


「この神社なんですけど」 

俺は写真をじっと見た。

タクシー運転手なら写真だけでも分かるものなのか・・・

いや、分かるわけがない

しかも、どう見ても大阪市内の神社には見えない。

「ちょっと写真だけでは分かりませんけど・・・」

「そうですか・・・とりあえず走ってもらえますか」

「とりあえず・・・まっすぐ南向きに走ったらよろしいですか?」

「はい」

少しの間会話もなく走った。

基本的に客から切り出さなければ、話はしない方が良いということも分かってきた頃だった。

「タクシーとか、長いんですか?」

女性の大きな瞳がバックミラーに映って、思わず目をそらした。

「いや、実はまだ乗り始めたばかりの新人なんやけど・・・」

「そうなんですか・・・」

「あの・・・結局どこへ行ったら良いんかな?」

年下に見える女性に自然と口調もタメ口になっていた。

「あの・・・わたし探してるんです」

「探してる?何を?」

女性が下を向いたので、自分もバックミラーに目を向けた。

「わたしの子ども・・・」

「子ども?」

背筋に冷たいものが走った。

「さっき見せたあの写真の神社にいる・・・はずなんです」