「プロじゃなかった…」リストラで運転手になったミドルの重い一言
河合薫さんという、
ニュースステーションなんかでお天気お姉さんなんかをやっていた女性の書いた、
日経BP(日経ビジネスオンライン)のコラムだが、
タイトルに引かれて読んでみると、
この女性は、よっぽどタクシー運転手という職業をバカにしている
というよりも、そもそも職業とも思っていない
ということが感じられて、非常に不快だった。
コラムの内容を簡単に説明すると、
ある日筆者の河合さんが、東京でタクシーに乗られて、
その運転手が身の上話を始めた
見た目40過ぎの新人運転手で、運転手としては若い部類に入るだろう。
その運転手は元製造業の出身で、
中国語が話せるため、現地の工場に出向いて生産管理をされていた。
しかし、そのうち現地の中国人が日本語を話せるようになってしまったため、
お役御免となり、
結局リストラされてタクシー運転手になっている
最後に彼の言った言葉が印象的である。
「まぁ、私はプロじゃなかったということです。営業としても、生産管理としてもプロじゃなかった。そういうことです」
名言やなぁ・・・と思うが、筆者はこの言葉の本当の意味を分かっていない。
筆者はこの後、彼女が最近インタビューした男性とこの運転手を重ねている。
その男性は同じように、東南アジアの現地法人に出向き生産管理をされていたが、
グローバル化の波の中でリストラされてしまった。
日本に帰って、飛ばされた出向先で2年間何も仕事を与えられずに完全に干され、
その後知り合いの紹介で転職している。
そして驚いたことに、
彼女はこの窓際サラリーマン(恐らくこの男性は今後も行く先々で邪魔者扱いされるだろう)の転職を成功と捕らえ、
新人ドライバーの人生を失敗と断じている
その後、
「プロとは何か」
ということを、つらつらと書いているが、
彼女なりに、プロとは、
「その人の代わりはいない」
という定義らしい。
うーん・・・そうすると、
代打を出された時点で、その野球選手はプロではなくなるのか?
自分もプロの運転手として誇りを持って仕事をしているが、
はっきり言って、俺の代わりなどいくらでもいる
別に俺でなくても、その仕事は出来るわけである。
それならプロとは何か?
どうやろ、俺なりに定義するならば、
自分だけで仕事を出来る人間
例えチームで働いていたとしても、自分の仕事(領域、ドメイン)を持っている奴
そして、その仕事で相手をうならせる技術と、人間性を兼ね備えていることではないだろうか
まさにタクシー運転手がよく「プロ」と表現される所以である
我々は一人で勝負している
非常にプロの仕事を表現しやすい環境にある。
上の運転手は、新人さんながら、そのことに気付いていたのではないだろうか。
もう一度、その発言を繰り返そう。
「まぁ、私はプロじゃなかったということです。営業としても、生産管理としてもプロじゃなかった。そういうことです」
この後に続く言葉に、筆者は全く気付いていない。
「わたしは、この仕事(タクシードライバー)で今度こそプロになるつもりです。奥の深い、本当にやりがいのある仕事です」
家族を養うため、のんびりと職探ししている暇はない。ので、「とりあえず」運転手になった。つまり彼女はタクシーの運転手としての現在は「腰掛け」と捉えたんじゃないですか?
返信削除あたしとしては、むしろ2年の猶予期間があったにもかかわらずクビを宣告されるまで仕事もせずにのんびりしていたもう一人の方が情けないと思いますね。薄々気づいていたはずでしょうから。紹介してくれる人がいなかったら同じ道を歩んでいた可能性だってあるし・・・。
文章も読みにくいし、博士とは言っても所詮女だなぁ・・とか思ったりして。
imomushiさん
返信削除彼女にとっては、運転手であること自体が失敗の象徴であり、キャリアの終焉なんでしょうね。わたしは女性蔑視はしませんが(笑)、言いたい気持ちはわかります。
>あたしとしては、むしろ2年の猶予期間があったにもかか わらずクビを宣告されるまで仕事もせずにのんびりしていた もう一人の方が情けないと思いますね
そうなんですよ。この男性がどんな再就職をしたのかは書かれていませんが、会社に振り回され、周りの顔色を伺う行き方はまっぴらだとタクシーに乗った男性の方が潔くて、「プロ」に近いと思うんです。
また引っかかるのは語学のことばかり書いて肝心の生産管理についての話題が乏しい。大体「在庫は作らない、発注は滞らせない」って、順序が逆なんですよね…
もし本人たちが、そのような話(語学ばかり)をしていたのなら、それこそ「プロでなかった」要因でしょうし、聞き手が語学の部分に意識が偏っていたのかもしれません。日本人にありがちなんですが…
イチローは会見で決して英語を話しませんが、もし英語で会見に答えると、「イチローさんって(英語ペラペラで)すごい…」なんて、見当違いに評価する人がいるからでしょう。
「タクシー運転手ごとき」からちょっと厳しくコラム評させてもらうと、冒頭で自分で言ってますが、まずこのコラムで何を言いたいのかわからない。
10年間と10000時間の繋げ方は苦しくて、グラッドウェルの知識を披露出来たのはいいですが、後半が間延びしてしまってます。
何よりも、筆者自身が「何かのプロである」とか、「何かでプロになりたい」という具体像なしにプロ論を繰り広げるのには無理があったと思います(コメント返事長いねん)