2025年10月2日木曜日

「わたし、脳腫瘍なんです」

午前中は流れが悪く、イライラしていたところで無線が入った

配車先は駅近くの病院

まあ(行き先)近くやろ

と思って向かう

着くと、男女2名が入口前で待っていた

60代くらいやろか

「お待たせしました」

「とりあえず水道筋の方向かってくれる?」

「分かりました」

「そこで彼女のスマホ取ってきて、そこから…」

そこから?

「運転手さん、あいな自然公園って分かる?」

「藍那ですか!北区のですか?」

「多分そうちゃうかな。今彼岸花がきれいに咲いてるみたいで、写真撮りに行きたいと思って」

「ちょっと見ますわ」

グーグルマップで検索すると、「あいな里山公園」というのがある

https://kobe-kaikyopark.kkr.mlit.go.jp/

7,8千円は出そうやな…

ややテンション上がる

水道筋のマンション近くに停めて、女性だけ降りてスマホを取りに行った

車内で男性と二人で待つ

「今日は天気も良くて、気持ち良さそうですね」

やや遠方へ行く客だからではないが、社交辞令を言う

「少し暑いかもしれませんね」

「そうですねぇ、山の上だからこっち(市内)より涼しいかもしれませんよ」

「運転手さん、わたしね、実は脳腫瘍なんですよ」

「えっ?」

「今年の5月に医者に宣告されて、もう年内生きられるかどうか」

「…」

「今日は特別に外出許可もらって、彼女とその公園の花を見に行きたいと思いまして」

彼女?奥さんではないのか

「元気そうに見えますけど」

「そうでしょう?でも、いつどうなるか分かりませんよ。もしかしたら、このタクシーの中でポックリなんてことも(笑)」

「…」

女性が戻ってくる

「運転手さんといろいろ話してたんや」

「…そう」

「運転手さん、じゃあそこ(里山公園)まで向かってもらえますか?」

「わかりました」

少し前まで真夏日が続いていたが、10月に入ってもう空はすっかり秋めいている

俗に言う「秋晴れ」である

公園で花を見るなんて、本当に気持ち良いやろな

道中もいろいろ話しながら行った

「5月にこの病気が分かるまでは警備員してたんですよ。泊まりのシフトがあったりして、結構厳しい仕事でしたよ」

警備員というと、タクシーと共に世間から蔑まれている現場仕事として共感する部分がある

すると女性が、

「その前は塾講師をしてたんやんね」

「そうなんですか」

「そうなんですよ。でも両親が病気になって、いつ病院から連絡があるか分からないから塾の仕事は辞めたんです。講義中に電話出られませんから」

「はぁ…そうですよね」

男性は警備員という仕事を卑下している感じはなかったが、女性が「警備員なんかではない」と言いたげな印象を受けた

家庭の事情で仕事を辞めて、厳しい職業に就かなければならなかったということか

夫婦でなければ、この二人の関係は何なんだろう

途中郵便局に寄ったりして、メーターは1万円を超えていた

「久しぶりに緑を見るなぁ。病院では寝て起きて、白い壁の毎日ですから(笑)」

俺はしょっちゅう緑を見ているとは言え、秋晴れの山地のドライブは気持ち良いものである

目的地の公園に着いた

看板を曲がると、

ゲートが閉まっていた

(休園日)

うせやん

後部座席も固まってるのを感じる

グーグルマップで場所を確認したときに、なぜそこ(休園日)まで確認しなかったんやろう

遠方乗車にテンション上げて、ドライバー失格や

ルームミラーを見ることも出来ない

「どうしましょうか?」

しばし沈黙の後に、

「もうここで降ろしてください」

男性は覚悟を決めたように言った

「ここで、ですか」

男性は女性に向かって

「外からでも少しは見えるやろ。ゲート超えて入っても良いし…運転手さん、今の聞かなかったことにして」

聞かなかったも何も、歩くのもままならない病人なのに、ゲート超えるとか出来るわけないし、こんなとこで降りても…

しかし、この二人を見て、これ以上自分が入り込むのはやめた方が良いと感じた

タクシーというのは、時に乗客の人生に深く入り込むが、降車と共に終了してリセットしなければならない

タクシーの性(さが)とでも言おうか、そこにこだわりはある

「こんなとこで降りてしまって良いの?」

女性はやや心配している

「もう(2度と一緒に)来れないよ」

話の中で聞いたが、男性は2週間前に意識を失って倒れてるそうである

次の外出はもうないということやろか

迷ったが、二人を降ろして、その場から去った

帰り道で少し涙が込み上げてきた

彼の人生を想い、リセット出来なかった

来年の年明けを迎える頃、おそらく彼はもうこの世にいない

せめてこの秋晴れの下、ヒガンバナを見せてあげたかった

俺にはどうにも出来ない想いに、悔しさと人生の儚さ、

運というもの

格差があるとすれば、そこなのかもしれない

彼があの公園を彼女と二人で外から眺め、少しでも幸せを感じることを祈らずにはいられない


10月1日(水) 57,570 35回