あの日はすごく寒くて、車のエアコンのつまみを最強にしたけど、それでもアクセルを踏む足は冷たかった。
数日前に降った雪がところどころまだ残っていて、橋の上を走ると、キラキラと光る白い光がスリップの恐怖を募らせた。
駅に入ると数人の客が並んでいた。
その先頭に立っていたのが、若い女性だったことに少し落胆した。
一般的に男にとって女性の乗客は歓迎に思うのだが、実際のところ女性は消費者として賢く(森さん意識して言葉選んだな…)、特に夜は近場でも安全のためにタクシーを利用することが多い。
本来は避けたいと思いがちな「酔っぱらいのおっさん」こそが、夜のタクドラにとっては上客なのである(金持ってるし、金銭感覚なくなってるからな)。
そんなことを言っていても仕方がなく、当然のことながら列の先頭から乗車してもらうことになる。
「…こんばんは」
「こんばんは。どちらまで?」
「あの…学園都市の方へ」
「学園…ですか?(えらい遠方やんか)」
女性は長い髪が顔を覆っていて見えにくかったが、20代前半で今で言えばYOASOBIの幾田りら似の童顔だった。
自分も40近いおっさんだったので、20代の女性との会話も戸惑うものがあり、遠方なら遠方でそれなりに緊張感がある(酔っぱらいのおっさんの接客は慣れてるからな)。
(何かありましたか?)
これは女性に限らず、タクシーの車内において禁句とされている質問である。
何も聞かずに、ただ言われた目的地に黙って行けば良い。
そうしているタクドラも多いだろう。
でも俺は聞きたい…
彼女の雰囲気は、何かを纏っていた。
もちろんいきなりそんな質問は出来ない、どこかでそういう方向へ持っていこう(聞けなかったら聞けないで、金さえもらえたら良い話やしな)。
そんな風に思いながら、右にウインカーを出してアクセルを踏んだ。
乗車してから当分の間、彼女は何も言わず下を向いていた。
髪が顔を覆っていたが、それは「何かあったんやろな」と思わざるをえないオーラを出していた。
トンネルに入ったときに、フロントガラスに反射した光で彼女が下を向いてスマホをいじっているのが分かった。
誰かとライン交換でもしているのだろうか。
おっさんが口を挟む隙はなかった。
高速を降りて、乗客に言われたアバウトなエリアから、詳細な目的地確認へ移る。
通常ならここが乗客に対する(必要ない)質問をするチャンスでもある。
詳細な目的地は自宅の詳細な住所になることが多く、乗客のプライベートに運転手が入り込んでいく瞬間である。
「駅で…学園都市の駅で良いです」
あぁ、これあかんやつや。
家まで送らせてくれへん。
これ、狙ってた女の子送ってく時、
「駅で降ろして」
言われた時の落胆に似てる(お前仕事してるんちゃうの?)
もちろんドライバーなので、言われた通りに車を走らせないといけない。
「ロータリーで良いですか?」
「はい」
酔っぱらいのおっさんなら駅で降りてくれて、しっかり金払ってくれたら安心である。
家の前まで送って行って、深夜に奥さんが金持って出てきて修羅場に遭遇するのは御免である。
しかしここで、何も突っ込んだ話もせず彼女と別れるのも辛い。
と言いつつも、タクシードライバーは1日に何度もの別れを繰り返している。
「ありがとうございます」
その頃はまだ珍しかったクレジットカード決済で清算し、自動ドアを開ける。
そのときである。
「運転手さん、すみませんけど…ていうか、いえ、あの…これ良かったら食べてください」
「えっ?」
それはグレーの包装紙に包まれた小さな箱であった。
女性は逃げるように車から降りていった。
駅に並んでいる待機タクシーに睨まれながらも、その包装紙をすぐに開けたい衝動にかられ、リボンをほどいた。
中には手作りらしきチョコレートと、付箋のような紙にメモが添えられていた。
(××くん、迷惑だと思わないで。深く考えなく良いから(笑) 受け取ってくれてありがとう)
そこに書かれていた言葉をしばし見つめていた。
そうか、今日はバレンタインデーか…
若いって良いな。
またこれからいろんな恋が出来るよ(ゴミ箱代わりのおっさん、何イキってんの?)
以前は、バレンタインデーの日等でお客様からの頂き物が多かったです。
返信削除が、今やその様な方は見掛ける事が少なくなりました。
それにしても、女性の方は、夜には自宅近く迄乗られる事が少ないです。
これは、ご近所の視線が気になる事や見ず知らずの運転手に自宅を知られたくない事があるのだと思います。
しかし、時間は深夜ですので、私はお声がけしております。
「ご自宅は、お近くでしょうか。大丈夫ですか。」
この返事は、期待通りの結果ですがね。
そうですね。
削除もらいもの、多かったですね。
こんなものもらってしまって良いんですか的な…
要らなくなったからあげる、みたいなのも結構嬉しいんですよね(実際は現金のチップが1番嬉しいんやろ)。
最後のひとりツッコミワロタ
返信削除ありがとうございます!
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