会社で3日間の地理研修を経て、
4日目は事故対策機構での適正診断、
その後はタクシーセンターでの3日間の研修、
このタクセン3日目に難関と言われる地理試験があり、
会社に戻って再び3日間の最終研修、
そして晴れて乗務デビューという流れになっている。
会社によっては、適正診断やタクセン研修を修了してから会社での研修をするところもあるようだが、
幸いにも、この阪北交通はタクセン研修の前に路上教習をさせてくれるので、ある程度の準備をした上で地理試験に臨むことが出来る。
タクセン研修へ向かう前に事務所に入ると、珍しく所長が顔を出していた。
面接の際に大きな顔をして座っていた、神経質そうで小柄な「所長らしき」男性はやはりこの営業所のトップで、佐藤という個性ある性の持ち主だった。
佐藤所長は、この数日見る限りではほとんど事務所にはいないようだった。
噂によると「得意先まわり」で忙しいようだが、どうやら遊戯場(パチンコ屋)での「営業」に力を入れているらしい。
この日の朝は事故処理のために通常より早くに呼び出されたらしく、機嫌が悪かった。
「おう、新人か。・・・あんた名前何て言ったかな」
いきなり指をさされたので、
「橋本です」
と答えると、
「ごめんな、ありふれた名前で覚えられへんねん。今日からタクセンか」
「・・・はい」
名前の「ありふれ度」では完敗やろと思いながら、俺は答えた。
「なんでうちがタクセン教習の前に内部研修やるか知ってるか?」
「やはり地理試験前に一通りの地理研修をさせて頂いたのかと・・・」
佐藤所長は顔の前で大きく手を振った。
「違う違う。3日間な、とりあえず人間見させてもらってんねん。
ここで使いもんならへん奴なら研修費払うのもったいないやろ。
早いとこ見切りつけさせてもらうねん」
地理試験の準備として路上教習をさせてもらってると良心的に受け取っていたので、俺は愕然として言った。
「・・・とりあえず第一関門はパスしたということですか」
所長は老眼鏡をクイっと上げながら、嫌な笑いを浮かべた。
「ここんとこ忙しくて、あんたらのことはほとんど見れてへんからな。
山岸(主任)なんかに任せてたら、どいつも『良い人材です』と来るから困ってんのや。
あいつも難しいことばっか抜かしてかっこつけてるけど、業界のことは何もわかってへんペーペーやからな。
『タクシーの将来は明るいですよ』
なんて平気な顔して言いやがる。
『踊る大捜査線』かなんかの見すぎやねんな」
俺には「踊る大捜査線」と「タクシーの将来」とのつながりが良くわからなかったが、
何となく言いたいことはわかった。
「山岸主任にはいろいろと教えてもらってます」
あまり主任に対する肯定的な評価は口にするべきではないと直感ではわかっていたつもりだが、正直な思いが口に出てしまった。
「ケッ、またかよ・・・あんな奴の言うこと信じてると痛い目に遭うで。
タクシーなんていうのは、職業人の地獄や。
ダメ人間の集まりやで。
あんたも若いし、今はまともな考え持っとるかもしれへんけど、この世界に入ったらだんだんと荒んでく。
俺はそういう奴らを嫌っちゅうほど見てきてんねん」
主任の言う「楽しい世界」と、この感じ悪い所長の言う「荒んだ世界」、この業界には現在その両方が共存しているのかもしれない。
「あの・・・時間なんで(タクセンに)行ってきます」
「おう、がんばって来いよ」
「ありがとうございます」
事務所を出ようとしたとき、所長に呼び止められた。
「おい、ちょっと待てよ。あっちでは地理(試験)もあるんやろ」
「はい」
「中之島に橋がいくつかかってるか知ってるか」
「・・・橋ですか。10くらいですか」
「西の北側から船津橋、上船津橋、堂島大橋、玉江橋、田蓑橋(たみのばし)、渡辺橋、御堂筋にかかる大江橋、天神祭りの鉾流橋(ほこながしばし)、こっから南北突っ切りで難波橋、天神橋、天満橋は中之島にはかかってへん・・・戻って、 栴檀木橋(せんだんのきばし)、淀屋橋、肥後橋、筑前橋、常安橋(じょうあんばし)、土佐堀橋、湊橋、端建蔵橋(はたてくらばし)、車が通れる橋だけで18ある。覚えときな」
「・・・」
「安心しろ。 栴檀木橋なんて出ることないから」
「・・・はたてくらばし・・・は出ますか」
「出ないよ」
所長は笑った。
4日目は事故対策機構での適正診断、
その後はタクシーセンターでの3日間の研修、
このタクセン3日目に難関と言われる地理試験があり、
会社に戻って再び3日間の最終研修、
そして晴れて乗務デビューという流れになっている。
会社によっては、適正診断やタクセン研修を修了してから会社での研修をするところもあるようだが、
幸いにも、この阪北交通はタクセン研修の前に路上教習をさせてくれるので、ある程度の準備をした上で地理試験に臨むことが出来る。
タクセン研修へ向かう前に事務所に入ると、珍しく所長が顔を出していた。
面接の際に大きな顔をして座っていた、神経質そうで小柄な「所長らしき」男性はやはりこの営業所のトップで、佐藤という個性ある性の持ち主だった。
佐藤所長は、この数日見る限りではほとんど事務所にはいないようだった。
噂によると「得意先まわり」で忙しいようだが、どうやら遊戯場(パチンコ屋)での「営業」に力を入れているらしい。
この日の朝は事故処理のために通常より早くに呼び出されたらしく、機嫌が悪かった。
「おう、新人か。・・・あんた名前何て言ったかな」
いきなり指をさされたので、
「橋本です」
と答えると、
「ごめんな、ありふれた名前で覚えられへんねん。今日からタクセンか」
「・・・はい」
名前の「ありふれ度」では完敗やろと思いながら、俺は答えた。
「なんでうちがタクセン教習の前に内部研修やるか知ってるか?」
「やはり地理試験前に一通りの地理研修をさせて頂いたのかと・・・」
佐藤所長は顔の前で大きく手を振った。
「違う違う。3日間な、とりあえず人間見させてもらってんねん。
ここで使いもんならへん奴なら研修費払うのもったいないやろ。
早いとこ見切りつけさせてもらうねん」
地理試験の準備として路上教習をさせてもらってると良心的に受け取っていたので、俺は愕然として言った。
「・・・とりあえず第一関門はパスしたということですか」
所長は老眼鏡をクイっと上げながら、嫌な笑いを浮かべた。
「ここんとこ忙しくて、あんたらのことはほとんど見れてへんからな。
山岸(主任)なんかに任せてたら、どいつも『良い人材です』と来るから困ってんのや。
あいつも難しいことばっか抜かしてかっこつけてるけど、業界のことは何もわかってへんペーペーやからな。
『タクシーの将来は明るいですよ』
なんて平気な顔して言いやがる。
『踊る大捜査線』かなんかの見すぎやねんな」
俺には「踊る大捜査線」と「タクシーの将来」とのつながりが良くわからなかったが、
何となく言いたいことはわかった。
「山岸主任にはいろいろと教えてもらってます」
あまり主任に対する肯定的な評価は口にするべきではないと直感ではわかっていたつもりだが、正直な思いが口に出てしまった。
「ケッ、またかよ・・・あんな奴の言うこと信じてると痛い目に遭うで。
タクシーなんていうのは、職業人の地獄や。
ダメ人間の集まりやで。
あんたも若いし、今はまともな考え持っとるかもしれへんけど、この世界に入ったらだんだんと荒んでく。
俺はそういう奴らを嫌っちゅうほど見てきてんねん」
主任の言う「楽しい世界」と、この感じ悪い所長の言う「荒んだ世界」、この業界には現在その両方が共存しているのかもしれない。
「あの・・・時間なんで(タクセンに)行ってきます」
「おう、がんばって来いよ」
「ありがとうございます」
事務所を出ようとしたとき、所長に呼び止められた。
「おい、ちょっと待てよ。あっちでは地理(試験)もあるんやろ」
「はい」
「中之島に橋がいくつかかってるか知ってるか」
「・・・橋ですか。10くらいですか」
「西の北側から船津橋、上船津橋、堂島大橋、玉江橋、田蓑橋(たみのばし)、渡辺橋、御堂筋にかかる大江橋、天神祭りの鉾流橋(ほこながしばし)、こっから南北突っ切りで難波橋、天神橋、天満橋は中之島にはかかってへん・・・戻って、 栴檀木橋(せんだんのきばし)、淀屋橋、肥後橋、筑前橋、常安橋(じょうあんばし)、土佐堀橋、湊橋、端建蔵橋(はたてくらばし)、車が通れる橋だけで18ある。覚えときな」
「・・・」
「安心しろ。 栴檀木橋なんて出ることないから」
「・・・はたてくらばし・・・は出ますか」
「出ないよ」
所長は笑った。
>主任の言う「楽しい世界」と、この感じ悪い所長の言う「荒んだ世界」、この業界には現在その両方が共存しているのかもしれない。
返信削除確かに、荒んだ乗務員も何か悟ったような人。目的意識、人の役に立ちたいとかその乗務する人の意識で
多分ですが、意識が違えば見えてくる世界観も違うのがタクシーという仕事なのかも知れません。対人スキルが実は必要なのに、何も仕事はないしタクシーぐらいできるやろう
だと荒む気はします。タクシーに乗り込む人は毎回違いますから
その人なりなど考えず、荷物を運ぶ感覚だと確かに面白くない仕事と
思われる部分もあるかも知れませんね。